苦難について その1

東京江戸博物館に、地層の展示物があります。東京大空襲の跡が黒い線となって残っています。

はるかな時の流れにも痕跡を残すほどの大きな出来事であったといえますし、はるかな時の流れからみるとどんなに大きな出来事もひとつの線でしかないともいえます。


それを個々人の人間に置きかえると、どんな大きな体験も、長い人生の中ではみひとつの地層のようなものかもしれません。


樹木は年輪を刻みます。年輪をみて、その年がどういう環境だったかわかるといいます。環境が良いときにはよく成長するので年輪と年輪の間が広くなります。


同じ種類の木でも、寒冷地の木は年輪が細かく刻まれます。そして年輪が細かく刻また方が、家を支える柱としてはより強く優れているといわれます。


木自身は良い環境の方がのびのびと気持ち良く成長できるのですが、木にとっては辛い環境であったことが必ずしも悪いとはいえません。


できれば苦労を避けたいと思うのは人間の常ですが、避けられない苦労もあります。永遠に続くかのように思える苦しみ
も、いつかは終わります。そしてそのような経験をすることが、別の観点でみると役に立つことがありえるということです。


正義感に関する実験

京都大学などの研究グループが行った実験について、興味深い内容だったので概要を転勤します。


生後6か月の赤ちゃんに2種類の動画を見せます。


登場人物
「攻撃者」青いキャラクター
「被害者」黄色いキャラクター
「正義の味方」緑色のキャラクター
「傍観者」オレンジ色のキャラクター


1つめの動画
黄色(被害者)が青(攻撃者)に何度か攻撃されたあと、緑(正義の味方)が両者の間に入って黄色(被害者)を助ける 


2つめの動画
黄色(被害者)が青(攻撃者)に何度か攻撃されたあと、オレンジ色(傍観者)は黄色(被害者)を助けずその場から離れる


二種類の動画を見せたあと、赤ちゃんの前に緑(正義の味方)とオレンジ(傍観者)のキャラクターを置き、どちらが好きか選ばせます。


生後6か月の赤ちゃん20人のうち17人が緑(正義の味方)を選ぴました。


偶然性を排除するため生後6か月と生後10か月の赤ちゃん132人に、同様の実験を、見せる動画のパターンを変えて行いましたが、結果は同じでした。


研究グループは「人間には生来「正義感」が備わっている可能性がある」という結論を出しました。


この実験はイギリス科学誌『ネイチャー・ヒューマンビヘイビア』に発表されネット上で話題になったそうです。


なんだか興味深いお話ですね。


赤ん坊は弱いから単に保護的存在が好きなのでしょうか。


でもそうだとしても、あれは動画で、緑のキャラは直接的に自分を守ってくれる存在ではありません。


直接的に自分を守ってくれる存在でもない緑のキャラが好きだということが何の証明になるでしょうか。


この実験で証明できていると私が思うのは、赤ん坊が、動画という自分に直接的に影響を及ぼさない環境であっても、他者の状況や、他者同士の関係を理解する(可能性がある)こと。


「平和的でない状況を改善してくれる存在が好き」ということです。


先ほど「(可能性がある)」と書いたのは、厳密に言えば、たぶん赤ん坊はテレパシーが大人以上に強いので「緑を選んだらいいなぁ」と思っている実験者や親の思考に影響される可能性があると思ったためです。


「平和的でない状況を改善してくれる存在が好き」なのではなく単に「周りの期待に応えようとしている」だけかもしれません。


その可能性をなくすには、実験の意図を知らない大人、実験の意図に関心のない大人がそばにいても同様の結果になる必要があります。


ただ、その実験をしても同様の結果が出る可能性はけっこう高いと思います。


なぜなら子ども番組にはヒーローものが多いからです。


テレビ番組は視聴率を取る必要があるので、子どもの嗜好に合わせた結果、ヒーロー番組が多くなったのかもしれないと考えると自然です。


お年寄りも「水戸黄門」とか好みますしヒーローものは万人受けするのかもしれません。


もしかしたら、人間は本当に「平和的でない状況を解決してくれる存在が好き」という傾向を生まれもって持っているのかもしれません。

これが日本人に特有の傾向なのか人類共通の傾向なのか、外国の赤ちゃんで同様の実験をすればハッキリすると思います。



地獄絵図

地獄絵図ってあるじゃないですか。

地獄の住民は辛い目に遭っていて、地獄の番人が住民をいじめているような絵。

あれがふと浮かんで、「もしも地獄に番人がいなかったら、地獄の住民は何をするのだろうか」という問いが浮かびました。

自由であれば、なんでもし放題ですが、その時何をするかという点が、地獄の住民と天国の住民では異なっています。

地獄の住民は簡単にいうと悪いことするわけですね。

悪いことというのをもう少し細かくいうと、自他の区別が強くエゴイズムが強く、自分さえ良ければいいという感じになっていたり、自分のセンスで調和的だと感じることが全体的な調和を乱してしまうことになっていて、勘違いの度合いが強く、修正の可能性が低く、直そうとも思わないし、教えられても逆ギレして受け入れないし、あとから考え直そうともしない、という感じですかね。

自由を得たら何をするかという質が、その人の質をあらわしています。

誰も見ていなければ何をするか、犯罪にならなければ何をするか、何を思ってもいい(と通常の社会ではされる)心の中で何を思うか。

その質によっては地獄の特訓が必要になってくるというのが、地獄絵図なのでしょうね。

地獄の番人は鬼コーチ。

いじめているようにみえて、特訓。特訓されている住民は、もしかしたら見いだされて変わることを期待されている選ばれた生徒たちかもしれない。

いじめと特訓はどう違うか。

地獄の番人が地獄の住民と同じような性質ではないこと。住民に適切な自己コントロール力を身につけさせるという目的のみできちんとコントロールされていて、それ以外の不純物(自分のコントロール力不足、ストレス発散など)が一切ないこと、少しあっても修正傾向にあること。個々の相手にどの程度の特訓が必要かを正しく把握し過分に行わないこと。

そうであれば、不動明王が大日如来の化身だといわれるように、地獄の特訓もまたひとつの愛の形のなりうるのでしょう。


という考えがふと浮かんだのは、現実(という)世界の勤務先で、私たちがあまりに部下の指導ができなくて統制が乱れ、上司が「指導すべきところは指導する。受け入れるべきところは受け入れる。労いや感謝の言葉を述べる。これを全員に徹底してもらいたい」と全体メールを発信したのを読んだあとでした。地獄絵図を思い出さないと業務上必要な注意もできないってどんだけ気ィ弱いんだろ(笑)。

因果の時間軸

私が、自分の指針としているスピリチュアルな考え方があります。それをうまく説明できないので、あまりちゃんと書いてこなかったのだけれど、やっぱり書きたいなと思い、トライしてみます。

幼い頃に望んでいたことと、10代、20代で望むことと、40代、50代で望むことと、70代、80代で望むことは、違っていることが多いと思います。

それぞれの年代によって、正しいと考えることも違っていることが多いと思います。それぞれの年代によって、抱えている問題も違います。

それぞれの年代の自分は、置かれている環境や、抱えている問題や、願っていることがまるで「別人」みたいに異なっているのですが、それでも原因と結果の法則が働いています。

たとえば私は6月生まれで、小学校のクラスの中では成長が早かったため背が高く「ちゃんと食べないと背が伸びないよ」と親に言われても「いいもん」と言って食べなかったのですが、その後周りの子たちは背が伸びて私は相対的チビになり、高校生の頃になってあわてて背が伸びる本を買って読みましたが何をやっても全然伸びませんでした。その後もずっとチビのままです。「小学生の自分」だけが原因を左右できたのであり、「大人になってからの自分」は、その結果を負うしかありません。

たとえば、暴飲暴食した結果体を壊すとします。「暴飲暴食しているときの自分」と「病気になった自分」は別人のように考え方も願いも環境も違うことでしょう。そして「病気になった自分」には選びようもないことを「暴飲暴食しているときの自分」はまだ選択しうるわけです。

しかし「暴飲暴食しているときの自分」も大変な中で頑張っていて好きな物くらい食べなければやっていられない気持ちなのかもしれないし、つきあい上致し方ないと考えているかもしれません。当人からすれば自然で当然のことなわけです。

もしも「病気の自分」と「暴飲暴食している自分」という、別人みたいな自分同士が直接会ってよくよく話し合えば、暴飲暴食以外のストレス解消法や人とのつきあい方を工夫することができるかもしれませんし、その結果「病気の自分」は楽になるかもしれませんが、過去の自分と未来の自分が会う機会はほとんどありません。

さて、過去の自分の選択が未来の結果につながることは、まだ自己責任として引き受けやすいですが、この原因と結果の法則というのは、過去世の自分と今世の自分にも働いているとスピリチュアルな世界では言われます。過去世といっても感覚としてあまりピンとこないですが、過去世の自分は、今世の自分の、ふとしたときにあらわれる性質や選択につながるので、過去世という概念を外して「あるときに出る自分の性質に基づく選択」がある問題の原因になっていたり、問題解決や願望達成を遅らせる要因として働いているかもしれない、と考えておきます。

過去世の自分が今の自分の性質として潜在的に残っていて、ふとした瞬間の性質や選択としてあらわれるということは、今世という枠組みの中では、未来と過去が逆さまになることもありえるということです。未来の自分の選択(の元になっている意識)が過去の自分の問題を作っているかもしれないという捉え方なのです。

たとえば、子どものときに児童虐待を受けたから(原因)、親になって児童虐待をするようになった(結果)というのは通常の原因結果の考え方ですが、時間軸を自由にすると別の捉え方もできます。

生まれつき潜在的に養育的な親子関係という資質を内在的に持っていない(原因)、よってのちのち児童虐待する可能性がある自分だから(原因)、親に恵まれず酷い目にあったのかもしれない(結果)。

こう書いてみるとひどいことを言っているような気もしますが、このような因果論は、あくまで自分が自分に対しするもので、環境や健康に恵まれない人を他人がジャッジするために使う理屈ではありません。そう考えてみることで前向きな姿勢を保ちやすくなる場合のみ、そう考えてみればよいのです。

通常の時間軸に沿った因果論だと、当事者は、自分が幼く無力なときに親という本来自分を守り育むべき存在が人生をメチャメチャにした。その結果、自分は望んでもいない児童虐待をするようになってしまった、という被害者意識や無力感に陥ったり、被害を受けたことを自分が問題行動を続けることの正当化の理由に使ってしまうかもしれません。

原因と結果の時間軸を自由にすると、これからできることがあるとわかります。「子どもの立場で辛かったから、大事なことは何かがわかる。大人になった自分は、たとえそれがどんなに自然で正しいことのように思えても、別の選択をしよう、カルマを超えて養育的な親になり、よりよい親子関係の因果を作ろう」と決めることができます。被害者意識や無力感に陥らず、よりよい選択をし続け、誰かが変わってくれることや運がよくなることなど小我の自分にはどうにもならないことをただ待っている無駄な時間を過ごすことから解放されます。自分にコントロール権が戻ってきます。

注意すべき点は、どの自分も自然にそうなっていて当たり前だと感じること、別の時代の自分とは願いや関心事が異なっていること、よってリアルタイムでは気づきにくいという点です。

それをわかっていれば、今の自分の感じ方や生き方が自然で当然と思っても、立ち止まって考えてみることができます。「このことが何を生み出すだろうか」「今の自分のあり方が何かの原因になりうるだろうか」と自問できます。

また、過去や未来の自分と直接会うことは普通はありませんが、今の自分•過去の自分•未来の自分に似た人とは会う可能性、印象深く感じる可能性は高いです。

「どの時代も自分は正しく人が間違っていると感じやすい」ことを踏まえていれば、人の言動が理解できなくて、すごく間違っているように見えても、ひどい対応やジャッジは控えるようになります。

さまざまな時代の自分と似た人に出会うことをわかっていれば、自分がジャッジした相手を思い出して、ジャッジした観点から自分自身を点検することもできます。

「時代によって願いが異なること」を理解していれば、人の願いが自分の関心事と違ってもあまり無下にせず、可能な範囲で手助けしようと思えます。

あと、自分の願いが達成されそうになる直前とか、達成された後に、どうでもいい気分になってやめたくなったり、それを大事にしないような性質が出てきやすくなることがよくあるのですが、それは自分の中に潜在している「さまざまな自分」の考え方や願いが異なっているからで、それが「ひとりの自分」の願いが叶うことを阻害する要因として働くからで、引き戻しは当然起きるものなのです。

そういうときも上記のことを踏まえていれば「これこれ。これだからあの時あんなに難しかったんだ」と思って、意図的な選択をし直すことができます。

大きなことを成し遂げるには、さまざまな自分が一貫していることが必要です。そのときどきでバラバラのことを願っていたら大きな願いは達成できません。たとえば日本からアメリカに向かって航海していた船が、途中数日ごとに進路を変えていたら同じあたりをぐるぐる回るばかりで、沢山燃料を積んでいても、どこにもたどり着かずに燃料を使い果たしてしまうでしょう。本当に達成したい願いがあるならば、どの時代の自分もある程度一貫した選択をし続ける必要があります。

何かが叶わないとき問うべきことは、自分のどういう部分を変えるべきか教えてくださいという問いです。「さまざまな自分」の願いがどのように干渉しあっているかを理解して、再選択することが必要です。

上記のような考え方は、他人や環境のせいにすることなく長い時間軸のの自分を統合しようとする考え方で、自分自身を「選択しアファメーションし続ける存在」として規定し、一貫した地道な努力をコツコツ積み重ねていく姿勢を維持していくことに役立つ考え方です。

今日の一曲

当直明け、朝帰りで、一杯飲みながらYouTube聞いてます。

今日の一曲は、越路吹雪さん「誰もいない海」

http://video.search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RCKwm2VhFYdBQA9xx05ft7?p=%E8%B6%8A%E8%B7%AF%E5%90%B9%E9%9B%AA&aq=0&oq=%E8%B6%8A%E8%B7%AF&ei=UTF-8

子どもの頃に聞いたけど、大人になって聞き返すとまた感慨深いなぁ。





プロフィール

ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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