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嬉しいご報告

久しぶりの投稿になります。


公認心理師という新しい国家資格ができて、この秋、第一回試験が行われました。


以前からもっている精神保健福祉士という資格で勤務していた別の仕事のおかげで現任者と認められ、受験資格をもらうことができました。


そんなこんなで今年は講習を受けたり受験勉強したり慌ただしく過ごしていました。


9月受験で11月末に合格発表、なんと合格しました~、


いま資格取得申請中です。


ヒプノセラピーは公認心理師資格とは直接関係ありませんが、今後仕事の幅が広がるので嬉しいです。


ヒプノセラピーは変わらず続けていきます。


来年は夢について勉強する予定です。
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世界を救うの禁止

朝の思いつきが私にとっては大事なことが多いので、シェアさせてください。


今朝の気づきは、世界を救おうとしちゃいけないということでした。


世界を救おうと思うことは、自分が、欠乏状態の「世界観」を持っていること、自分にとっての世界が不調和であることをあらわします。この世には、このまんまでハッピーという人もいます。


何をどうすれば世界が良くなるか真にわかっているわけもないので、よかれと思ってやったことが不調和を生むこともあります。何が無駄かをわかってもいないのに「無駄を省こう。これが大事」と力いっぱいやると別の何かを壊したりして。


自力だけでナントカしようとするからです。自分の思いばかりが頭の中をぐるぐるして、聴く耳がなくなります。新しい思考が入る余地のない精神状態です。


「まだまだ」と四六時中焦っていると、たまに時間があっても気が休まらずゆっくりできません。


これらは、プロセスと丁寧に関わる瞑想のような意識状態とは真逆の精神状態です。


この世で望むことを成し遂げた人々は、象ほど体が大きかったわけでなく、チーターみたいに足が早かったわけでもなく、千倍の時間があったわけでもありません。ただ千倍効率が良かったとはいえるだろうと思います。


イチローは、アメリカ人選手ほど体の大きくない小さな自分の体を、アメリカ人選手よりよくコントロールできた点が良かったと話していたことがあります。


自分の体と心をよくコントロールして、一瞬一瞬を丁寧に生きること。この体で足りる。今あるお金で足りるという思い方が基本なのだと思います。


比喩的な話ですが、人間の体を構成するひとつひとつの細胞は、究極的には脳からの指令に従って動いています。脳の細胞と足の裏の細胞は離れているのに、細胞たちは何をすればよいか指令をキャッチできます。全体性とつながっているちっぽけな存在。これは人間も一緒です。


人間にとっての脳にあたるものがあるとしたら何でしょうか。全体のバランスを司り、全体に影響しうるもの。生命。ハイアーセルフ(普遍性とつながる自分)。神。全体性と調和する自然界や聖霊。


一個の細胞のような人間として、源からの指令を受信できる意識状態は、少なくとも焦ることじゃなかろうと思います。焦れば受信能力が低くなります。発信ばかりで受信できないと調子外れになります。


大事なのは、熱意を持って人間的な努力をしながらも、自分の強い思いに巻き込まれず、源を信頼し、一息一息を大事にすること。自分の内外で起きていることを観察し、察知する受信力を保つこと。新しい考えを受け取る余地を残すこと。


世界を救うの禁止と書きましたが、実は言葉通りではありません。


大義を祈るのはきっとよいことです。


ただ、せっかく良い思いを持っているのなら、自己分析して洗練させていきましょう。


世界と思っているものは実は自分の頭の中の「世界観」であり、CGの世界みたいなものであることをわきまえます。


熱意の元となる世界観に価値を認めながらも、妄想ではない現実世界の実際の必要性に正しく対応できるようにします。


また、世界を変えたいという思いの背景には、根深い悔しさや怒りの感情があることも多いです。動機が愛でなければ結果も愛にならないので、自分の悔しさはありのままにみて、愛でて、浄化して、何度でも愛からリスタートしましょう。


自分の大義がコツコツとしたディテールを伴うように、今していることを何年でも続けていけばいつか必ずそうなるような行動を、今しましょう。


そんなふうに自分の大義の中にある不純物を見つけては純度を高めつつ、人間的な努力をしつつ、自分もその一部である源を信頼し、受信力を保ち、一息一息を大切にする瞑想のような意識で、目の前のことを落ち着いて丁寧に取り組んでいこう、というのが今朝の気づきでした。



苦難について

東京江戸博物館に、地層の展示物があります。東京大空襲の跡が黒い線となって残っています。

はるかな時の流れにも痕跡を残すほどの大きな出来事であったといえますし、はるかな時の流れからみるとどんなに大きな出来事もひとつの線でしかないともいえます。


それを個々人の人間に置きかえると、どんな大きな体験も、長い人生の中ではみひとつの地層のようなものかもしれません。


樹木は年輪を刻みます。年輪をみて、その年がどういう環境だったかわかるといいます。環境が良いときにはよく成長するので年輪と年輪の間が広くなります。


同じ種類の木でも、寒冷地の木は年輪が細かく刻まれます。そして年輪が細かく刻また方が、家を支える柱としてはより強く優れているといわれます。


木自身は良い環境の方がのびのびと気持ち良く成長できるのですが、木にとっては辛い環境であったことが必ずしも悪いとはいえません。


できれば苦労を避けたいと思うのは人間の常ですが、避けられない苦労もあります。永遠に続くかのように思える苦しみ
も、いつかは終わります。そしてそのような経験をすることが、別の観点でみると役に立つことがありえるということです。


正義感に関する実験

京都大学などの研究グループが行った実験について、興味深い内容だったので概要を転勤します。


生後6か月の赤ちゃんに2種類の動画を見せます。


登場人物
「攻撃者」青いキャラクター
「被害者」黄色いキャラクター
「正義の味方」緑色のキャラクター
「傍観者」オレンジ色のキャラクター


1つめの動画
黄色(被害者)が青(攻撃者)に何度か攻撃されたあと、緑(正義の味方)が両者の間に入って黄色(被害者)を助ける 


2つめの動画
黄色(被害者)が青(攻撃者)に何度か攻撃されたあと、オレンジ色(傍観者)は黄色(被害者)を助けずその場から離れる


二種類の動画を見せたあと、赤ちゃんの前に緑(正義の味方)とオレンジ(傍観者)のキャラクターを置き、どちらが好きか選ばせます。


生後6か月の赤ちゃん20人のうち17人が緑(正義の味方)を選ぴました。


偶然性を排除するため生後6か月と生後10か月の赤ちゃん132人に、同様の実験を、見せる動画のパターンを変えて行いましたが、結果は同じでした。


研究グループは「人間には生来「正義感」が備わっている可能性がある」という結論を出しました。


この実験はイギリス科学誌『ネイチャー・ヒューマンビヘイビア』に発表されネット上で話題になったそうです。


なんだか興味深いお話ですね。


赤ん坊は弱いから単に保護的存在が好きなのでしょうか。


でもそうだとしても、あれは動画で、緑のキャラは直接的に自分を守ってくれる存在ではありません。


直接的に自分を守ってくれる存在でもない緑のキャラが好きだということが何の証明になるでしょうか。


この実験で証明できていると私が思うのは、赤ん坊が、動画という自分に直接的に影響を及ぼさない環境であっても、他者の状況や、他者同士の関係を理解する(可能性がある)こと。


「平和的でない状況を改善してくれる存在が好き」ということです。


先ほど「(可能性がある)」と書いたのは、厳密に言えば、たぶん赤ん坊はテレパシーが大人以上に強いので「緑を選んだらいいなぁ」と思っている実験者や親の思考に影響される可能性があると思ったためです。


「平和的でない状況を改善してくれる存在が好き」なのではなく単に「周りの期待に応えようとしている」だけかもしれません。


その可能性をなくすには、実験の意図を知らない大人、実験の意図に関心のない大人がそばにいても同様の結果になる必要があります。


ただ、その実験をしても同様の結果が出る可能性はけっこう高いと思います。


なぜなら子ども番組にはヒーローものが多いからです。


テレビ番組は視聴率を取る必要があるので、子どもの嗜好に合わせた結果、ヒーロー番組が多くなったのかもしれないと考えると自然です。


お年寄りも「水戸黄門」とか好みますしヒーローものは万人受けするのかもしれません。


もしかしたら、人間は本当に「平和的でない状況を解決してくれる存在が好き」という傾向を生まれもって持っているのかもしれません。

これが日本人に特有の傾向なのか人類共通の傾向なのか、外国の赤ちゃんで同様の実験をすればハッキリすると思います。



地獄絵図

地獄絵図ってあるじゃないですか。

地獄の住民は辛い目に遭っていて、地獄の番人が住民をいじめているような絵。

あれがふと浮かんで、「もしも地獄に番人がいなかったら、地獄の住民は何をするのだろうか」という問いが浮かびました。

自由であれば、なんでもし放題ですが、その時何をするかという点が、地獄の住民と天国の住民では異なっています。

地獄の住民は簡単にいうと悪いことするわけですね。

悪いことというのをもう少し細かくいうと、自他の区別が強くエゴイズムが強く、自分さえ良ければいいという感じになっていたり、自分のセンスで調和的だと感じることが全体的な調和を乱してしまうことになっていて、勘違いの度合いが強く、修正の可能性が低く、直そうとも思わないし、教えられても逆ギレして受け入れないし、あとから考え直そうともしない、という感じですかね。

自由を得たら何をするかという質が、その人の質をあらわしています。

誰も見ていなければ何をするか、犯罪にならなければ何をするか、何を思ってもいい(と通常の社会ではされる)心の中で何を思うか。

その質によっては地獄の特訓が必要になってくるというのが、地獄絵図なのでしょうね。

地獄の番人は鬼コーチ。

いじめているようにみえて、特訓。特訓されている住民は、もしかしたら見いだされて変わることを期待されている選ばれた生徒たちかもしれない。

いじめと特訓はどう違うか。

地獄の番人が地獄の住民と同じような性質ではないこと。住民に適切な自己コントロール力を身につけさせるという目的のみできちんとコントロールされていて、それ以外の不純物(自分のコントロール力不足、ストレス発散など)が一切ないこと、少しあっても修正傾向にあること。個々の相手にどの程度の特訓が必要かを正しく把握し過分に行わないこと。

そうであれば、不動明王が大日如来の化身だといわれるように、地獄の特訓もまたひとつの愛の形のなりうるのでしょう。


という考えがふと浮かんだのは、現実(という)世界の勤務先で、私たちがあまりに部下の指導ができなくて統制が乱れ、上司が「指導すべきところは指導する。受け入れるべきところは受け入れる。労いや感謝の言葉を述べる。これを全員に徹底してもらいたい」と全体メールを発信したのを読んだあとでした。地獄絵図を思い出さないと業務上必要な注意もできないってどんだけ気ィ弱いんだろ(笑)。
プロフィール

ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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