鎌倉にいきました

報国寺と杉本寺に行きました。



報国寺はよく雑誌の表紙にのってますね。竹がいっぱいです。


報国寺




こちらは杉本寺の苔階段です。ここは登れないので、わきの階段をいきます。どちらも小さいけれど静かで風情があるお寺で、とってもよかったです。

杉本寺




そのあと江ノ電に乗って由比ヶ浜によりました。浜辺で、大きな大きな凧に鯉のぼりをつけてあげている人がいました。


由比ガ浜




海辺でしばらくまったりとして癒されました。

Fire The Grid のご紹介

カナダ人のシェリーさんという女性がよびかけているFire The Gridを紹介します。7月17日日本時間20時11分から1時間、地球のためにお祈りをするというよびかけです。祈ること自体はそれほど難しくないですし、よい可能性があるならやってみたいと思います。集合体でエレメンタルを作ることには特に力があると思います。よかったら参加されてください。


シェリーさんのサイトから第一章「物語」と第三章「計画」の部分を下記にコピーします。長いです~。お時間のあるときに読んでください。



The story
その物語

私たちの住むこの惑星は今、ハリケーン、地震、津波などの天災の被害があふれる時代を生きています。私たちは現在、一瞬でこの美しい地球を破壊できる核の力を手に入れました、あるいは、それよりもゆっくりと破壊していく公害、地球の資源を荒廃させること、そして、人口過剰。しかしながら、私は同時に、私たちにはこの惑星を私たち自身の為に愛に満ちた健康的な場所となるよう軌道修正をして癒し、そのような世界を後世へ残す為の真なる力が存在するのだということを貴方に伝えるように導かれつづけています。どうか、お願いです、貴方の数分の時間をこのお話を読むために取って下さい。そうすることによって、将来地球を救うことになるかもしれないのですから。


貴方に聞いていただきたいあるお話があります。それは、貴方にとって信じられない部分もあるかもしれません。ですが、それは実際に私の身に起き、片時も記憶から消し去ったり、否定することは出来ないのです。(時々、そうできたらどんなに楽かと思うこともありますが。)私は、混沌とした時代ですが、ごく“普通”にシンプルな生活の中で育ちました。 私のほとんどの部分はあなたとはなんら変わりないのです。その二つの奇跡が私自身の身に実際に起こるまでは、私は奇跡というものが起きるとしたら、私自身がもっとも奇跡とは縁遠い人間だと思っていました。それゆえに、このお話は私ではなく、あなた自身に起こっていたかもしれないのです。しかし、このことが私の身に起こったということは、私にこの事実を広く伝えるように役割を与えられたということなのでしょう。

私がまず最初に貴方に知って頂きたいのは、奇跡は本当に、貴方や私のような人々に起こるのです。その奇跡を起こす為に私たちがすべきことはただ、毎日の生活の中で起きていることに心を開き、それらの事象に心を通わせるのです。その交流とは、この私たちの生きる目に見える世界での事ではなく、私たちの創造主、宇宙、宇宙との調和のことです。そのメッセージは遠く隔たった所からきます。しかし、貴方がその内なるメッセージを受け入れ信じることにより理解することが出来ます。私たち全ての人が人生で奇跡を起こすことが出来るのです。そして、そのことはこうしてこのお話を貴方に伝えていることの大きな目的の一つでもあるのです。私は何も特別なトリックをもっているわけではありません。ただ、私がこれからお話することが実際にあり得るということ、そしてそれは一人一人全ての人に起こるという事に対して貴方の心を開いて下さい。

私はこのお話の中で何度も神に言及しています。これは実は私にとって少し違和感があるのです。なぜなら、私はずっと以前に神に見捨てられたと信じて来たからです。しかし、私は私たちが毎日生活しているこの地球と共に、宇宙と、宇宙の調和の最も重要な創造主について触れています。私は、この偉大な創造主を神と呼びます。なぜなら全ての人に、このお話は宗教のあるなし、宗派に関係なく、また完全に偏見や先入観をもたずに理解して欲しいからです。そして、私の理解する神とはこの地球だけの神ではなく宇宙全体の神のことなのです。

また、私はこの母なる地球、ガイアのことも神として言及します。私はこの旅を通してこの星は神の女性性の一部であることを知りました。そしてまた、私たちの宇宙がそうであるように、貴方は闇と光、平和と戦争のバランスを取らなければなりません。そして、神の二つの顔、女性性と男性性を認識しなくてはいけません。私たちは全て、この偉大な創造主を構成する一片なのです。私たちは神の一部なのです。

カナダのハリファックス、ノバ スコティアという場所で、ある二つの奇跡が起きました。私の息子と私は洪水になった沼地で溺れました。そして、このお話を語るために生き残っただけでなく、私たちは以前にもまして、今ではより健康な毎日を送っています。私は15分間“死亡”していました。私はその間に、ある光の存在に自分自身とまだ小さい私の息子をどうすれば救えるかを教えられました。そして、どうすればこの地球を癒すことが出来るかというメッセージも与えられました。

どうか、お願いです、貴方がこのお話を読むにつれ、今から私がお話することの可能性に対して貴方の心を開いてください。私たちは平和を確立し、正しい場所に正しい時に居る少数の恵まれた人達のみでなく、全ての人に繁栄をもたらすという共通のゴールを目指していく為に、この世界を一つの惑星として一致団結することが絶対に必要だと感じています。私たちは今、人類の新しい段階に移ろうとしています。そして、このウェブサイトで私がお話することは私たちが人類として将来に起こるであろう変化に同化する為の力となるでしょう。

私は人生の40年間、神とは無縁の生活をしてきました。しかし、子供の頃は神の可能性を追い求めていました。そして、揺るぎのない信仰を持ちつづける人たちはラッキーな人たちだと感じていました。そして、何者をも信じないということで、私はいつも人生の敗者だと感じてきました。子供時代は一度も聞いてもらえたとか、神につながったという感覚が一度もなくても、よく神に話し掛けていました。そして、私達の全ては神の大いなるパワーと常に非常に深くつながっているという事実に気付くのに、洪水の中で溺れ死にそうになるという経験が必要でした。

その事実は今までにないほど明らかになってきています。インターネットを見てみれば、何千もの検索結果が人類の次の段階、開化の時代と変化の時について語っています。
これらの話は私達の宗教、マヤ、エジプト、インディアン等の古代文明の話の中でも語られてきたものです。

私たちはずっと、神が私たちをこの世界から救い出す為に手を差し伸べてくれるのを待ってきました。ええ、この働きには神の存在はあります。しかし、神は単に私のような人たちを使って方向を示すだけなのです。

そして、その現実を作り出す為には、貴方のような人の信じる心が必要なのです。
そしてまた私は私たち全てが参加して母なる地球を癒し、人類を健康と平和とポジティブな変化へ導く為の方法のメッセージを与えられています。しかし、この方法を現実の物とする為には、貴方に貴方の人生のうちのたった一時間を祈りに使ってもらう必要があります。

ある時私はスタートレックシリーズで“反抗は役に立たない”という台詞を聞きました。私は神のメッセンジャーなどにはなりたくなかったのです。しかし、神が私達の目覚めを求めるとき、それは何があろうと起こるのです。だから、今私は2002年11月のあの自動車事故の後に私に起こったことの全てを貴方にお話します。

あの事故がおきた時、息子と私は友人の家へ遊びに行く途中でした。私の車は沼地の洪水の中に押し流されてしまったのでした。 車は上下反対になり沼地の底まで沈みました。車の窓を開け
ようとしましたが、電動のパワーウィンドウだったので、無駄でした。私たちは車の中に閉じ込められてしまったのです。私はまだその時四歳だった私の息子に話し掛けました。そしてママが彼を必ずそこから助け出すと伝え安心させました。車は急速に濁った泥水で満たされてきました。私は水が車の中に全て浸水するのを待つ間、息子のコートをしっかり握り締めていました。水が車の中に満タンになり、外の水と同じ気圧になれば泳いで出られると思ったからです。水が息子の頭を超える前の私の最後の言葉は“ハニー、息を止めて。ママがすぐにここから出してあげるからね。”でした。私は彼が残りの空気の中で大きく息を吸い、そして、水が彼を飲み込むのを見守りました。車の中の最後のエアポケットがなくなるのを感じると同時にドアを開けようと試みました。しかし、ドアは微動だにしませんでした!!他のドアも同じように動きませんでした。私は何度もドアを開けようと試みましたがまったく役にたちませんでした。私たちは閉じ込められ、死にゆく運命でした。

この時私は希望がないとは判りつつも、それでもなんとか空気が残っているようにとわずかな希望を持ち、エヴァンの小さな体をシートの向うへ押したのでした。

私はこのタイヤのついた棺のなかから逃れようともがくうちに、私自身も息をしなくてはならないことに気付いたのでした。大量の水を飲みそれが肺に流れ込むのと、火のような感情がその瞬間をさらにパニックに陥れました。私は私の赤ちゃんを取り戻したかったので、両腕を狂ったように振り回し彼の体を探そうとしました。見つけられませんでしたが私自身もまた息をしなくてはいけませんでした。その時、穏やかで威厳のある声がリラックスするように私を導く声を聞きました。この声は耳の中で、間違いなく、全てはとどこおりなく解決するのだと聞こえてきました。

私はもし私が水に対して抵抗すればレスキュー隊が到着する頃には彼らが私を生き返らせることが出来なくなるので落ち着くようにとの知識を与えられました。その声は私が水に抵抗すれば溺れ死ぬといいました…そんな!!なんて間抜けな幽霊が私の死の床に現われたのかしら!と思いました。その声は、その後に起こることを私に教えつづけました。そしてただ、その声の言うとおりに従えば何も問題はないと告げられました。

私は静かにあちら側の世界に移り行くにつれ、この声に私自身を譲り渡しました。あちら側で、私と私の息子が車から脱出できるだけでなく、私たち二人とも大丈夫だと、再度約束するある光の存在を見ました。彼らはとても明確な説明をして、私はそのインストラクションに必ず従わなくてはならないこと、また彼らの言葉を疑ってはいけないことをさとされました。そして、これからの私は信仰を失ってはならないことと、予言を与えられ、導かれるようになると伝えられました。そして、それは実際に起こりました。

レスキュー隊が命の無くなった私の体を車から引きずり出すのに15分かかりました。そして、救急隊が私の命を復活させるのにさらに7分かかりました。私は体がまっすぐに固定されながら、朦朧とする意識の中で“私のベイビーを車の中から助け出して”と伝えました。22分が過ぎました。希望に反して、恐らく彼は既に死亡していると知りつつもレスキュー隊が息子を助け出す為に凍る沼に飛び込んでいきました。彼らが息子を車から連れ出す為にさらに5分程が過ぎました。彼のぐったりした体はIWLチルドレンズホスピタルへ搬送されました。彼はその病院に着くなり人類の持つあらゆる機械を体に繋がれたようでした。

緊急医師と神経科医が私を待っていました。彼らは私の愛しい息子が脳死状態であり、それに加えて彼の臓器の全てが血で満たされていると言いました。彼は体中で大量出血していて、彼の臓器は今後成長することは出来ないであろうといいました。全てが私の人生の中でもっとも悲しい事実ばかりでした。そのときです、あの声が再び聞こえてきたのです。

“子供よ。信じなさい”

医者たちは私に息子を機械からはずして平和的に彼をあの世へ旅立たせるようにアドバイスしました。万が一奇跡が起き生き延びたとしても彼は植物人間になるだろうといわれました。“意味のない人生”その時はその言葉しか浮かんでこなかったことを覚えています。そしてまた、あの同じ声が“信じなさい”と言うのを聞きました。その時医者たちはエバンを生命維持装置につないでおくことに同意しましたが、私に希望をもつのは辞めるようにアドバイスしました。彼が生き延びるチャンスは1%以下でした。そして、生き延びたとしても彼のこれからの残りの人生をずっとこれらの機械につながれ続けることになるとの事でした。覚えていますか。私は神様など信じていませんでした。だから神の導きを求めることさえ出来ませんでした。そしてその時、私一人で静かにたたずめることの出来た最初の瞬間にあの声からインストラクションを与えられたのでした。“必然のインストラクションに従いなさい。”あの湖の中で見たビジョンと声の記憶がどっと押し寄せてきました。あの時、確かに私と一緒に誰かが居たことは、とてもはっきり覚えていました。なので、その声をもっと注意して聞くことを決意しました。

私は息子のオーラを他の人々のオーラで再構築するように指示されました。
そして、その一番大切なルールは 一度に20分が限度だという事です。もしそれ以上長いとオーラを与える人のオーラを無駄に流してしまうことになるからです。彼らは私に沢山のエバンを愛する人々を連れてきて彼らのエネルギーフィールドをエバンの命の消えかかっている体に吹き込むように指示しました。

その方法とは、彼らの体をエバンの体に触れさせてそのエネルギーが彼の体を駆け巡らせるようにするのです。そしてそれからエバンに彼らの“才能”を与えるのです。もし歌が得意なら歌を。お話をするのが上手な人ならば、物語の読み語りを等です。彼にポジティブなエネルギーと貴方の愛と才能を吹き込んで下さい。そうすることによって、彼は復活するのです。

私は病院の儀礼に逆らい息子の部屋に30分毎に愛に満ちた人を送りつづけました。彼らはインストラクションに従って愛の贈り物を贈りつづけました。この行列は三日間24時間続けられました。たくさんのたくさんの人が訪れました。彼らは毎日、毎晩、愛と信頼の魂達が彼の生命のなくなりかけている体に新鮮なエネルギーを注ぎこみ続けました。この正統とは言えない行動を病院が許可したこと事態でも奇跡といえますが、三日目、徹夜の定期的な訪問の72時間後、私の息子は彼のその小さな瞳を開けて私を見つめたのです。彼は戻ってきたのです!!

医者たちは当惑し果てました。彼らは私に息子が二度と歩けず、話せず、普通の子供のように生きることは不可能であるといいつづけました。しかしながら、今回はもう彼らの言葉は私になんの影響もあたえませんでした。私の疑いの影にも関わらず、私の“友人”が湖で言ったように、聖なる光の存在からの導きが結局は、正しかった事を証明したのでした。

それからの最初の週の内にエバンは彼の全ての身体機能を取り戻しました。そして二週目の終わりには病院の子供用の遊び部屋へ廊下を走りぬけられるようになっていました。これは本当に信じられない程の奇跡です。このような素晴らしい奇跡を全能の創造主に起こしてもらえるような何を私がしたのでしょう?私はまったくわかりませんでしたし、実の所、気にもしませんでした。私はただ、息子を家につれて帰り、この全ての悪夢に終わりを告げたかったのです。このとき私は私自身はその光の友達との用事はすんだけれど、彼らの方は私との用事が済んでいないことに気が付いたのでした。

その後も私はあの声を聞きつづけました。そして、ビジョンと声の両方で導かれ続けました。言うまでもないことかもしれませんが、私は怖いというどころではありませんでした。時間が過ぎるにつれ、私は“私にどうして欲しいの?”と訊ねるようになりました。

彼らは宇宙の為の愛を説き、この世界でどれほどひどい間違いが横行しているかを話しました。人間性はコントロール不能なほどこじれ、神とこの地球との本来のコネクションを失っています。彼らは私に、この地球に住む人類に、“向こう”の世界に住む彼らからの、“貴方たちの心の中には、この星に住む一つの人類として平和と繁栄をもたらし統一する力をもっているのです”というメッセージを切に伝えて欲しいと言っているのです。

その力は私たち一人一人の中に宿っています。そして、他の人たちへの愛のエネルギーと結合することにより、私の息子に成し遂げた奇跡のように、この地球に対しても同じ事が出来るのです。私たちはその力を癒しへ向けることでこの地球を復活させることが出来るのです。この癒しによって人類の新しい段階がやってくるのです。私たちの未来に平和とハーモニーの時を迎えるのです。必要な物は、団結したグループとしての私達の意志だけなのです。そして、私達の時間の内、一時間だけなのです。

あの声とビジョンは明確に示しています。私はこの全てのプロセスをどう導くかを教えられています。しかしながら、この計画を成功に導く為にはこの惑星に住む私達の沢山の力が必要です。彼らが私の息子の病室で人々が輪になってつながり愛を贈り続けるよう指示したように、この計画を実行する為に、この地球のあらゆる場所から人類の想いを繋げ送るように指示しています。

全人類でなくても良いのです。あらゆる場所からの代表者だけで良いのです。私たちは出来るのです。私たちは私の息子にしたように、この惑星の神聖なエネルギーシステムに活力を取り戻すため起爆剤となる力を与えるための充分な人々を集めなくてはなりません。

この地球規模の愛の意志の計画は完全に可能なのです。あなたのこの計画を実現させるという意志はこの惑星の未来を変えます。私はこのウェブサイトの第三章でこの計画の詳細を説明します。どのような手順を踏めばよいか、そして、この私達の故郷、惑星地球を光へ導く大使となるためにほんの少しの行動で良いということが判るでしょう。

私は2007年7月17日に地球の網目(要所?)に火をつけるこの計画に貴方のエネルギーを加えてくださるように懇願します。この惑星が癒される為に必要なのはあなたの時間の内のたった一時間だけで良いのです。そして、それにより、全ての人々の間に平和を作り出すことが出来るのです。約束します。私の息子と私は人類のポジティブエネルギーそして、人類が愛の意志でつながり団結するときにどれほどのパワーを生み出すかという良い例です。愛は私達の世界に共通の言葉です。そして、あちら側の世界でもそうなのです。

光と愛が貴方と共にあります。人類の次の進化の段階へようこそ。この素晴らしい変換の一部をになって下さい、そしてどうぞ、私たちの仲間になってください。

第一章 The Story 完


The Plan
その計画

あれからの二年間、その光の存在たちは私とずっとコンタクトを続けてきました。最初、私は彼らの行動をとても受け入れられず、居心地が悪いと感じてきました。なぜなら、それは、私が今まで育ってきた環境や信じてきた事とは全く相容れない事だったからです。しかし、私は時が立つにつれ、私たちの創造主を信じる気持ちが抑えきれないほど大きくなりました。そして、この世界には、目に見えたり、体で感じるだけのことよりももっともっとはるかに大きな世界が存在することにゆるぎない自信を持つようになりました。私たちが三次元に生きているように、他の次元も確かに、明らかに存在するのです。そして、私たちの次元以外からの、まったく純粋に私たちをこの惑星の陥っている現状から救い出したいと願い、助けようと手を差し伸べている存在があるのです。

あの光の存在たちは本来私たちはいつもずっと大いなる源のエネルギーと繋がっているのだと伝えています。このコネクションは格子状の形状をしています。なので、出来るだけシンプルに説明するためにこのエネルギーの事を私は“格子”と呼ぶことにします。たくさんの小さな格子は一つの大きな格子へと繋がっています。たとえば、あらゆる生命の種族はそれぞれの連絡網となるエネルギーの格子を持っています。それによって、動物達はお互いのコミュニケーションをとっています。

あなたは考えた事がありませんか?例えば、鮭がどうして決まった時に生まれた川に戻ってくる事が出来るのか?また、ある種の蝶が一斉にメキシコに向けて飛び立つのか、あるいは、なぜガチョウが完璧なフォーメーションで飛べるのか。

それは、目には見えない彼ら独自の連絡網の格子がいつ、どこへ行けば良いかを知る手立てになっているからです。この前のアジアで起きた酷い津波の天災のとき殆んどの動物は被害をこうむりませんでした。これは、彼らの“格子”によって、危険が迫っている事を事前に知らされていたからなのです。人類は何千年もの昔にこれらの格子の集合体から離れる事を決めたのです。そうすることによって、自分たち自身の自由意志を持つことが出来るからです。この断絶によって私たちは自分自身の自由意志によって、自立し、自分の運命を自分自身で決める事が出来るようになったのです。

しかし、この事によって私たちは逆にこの惑星に影響を与えるほどのたくさんの間違いを起こす事も出来るようになってしまったのです。そして、それはまた私たちの源と繋がることを更に難しくさせているのです。私たちは今、私たちが選択したこの断絶により犯してきたたくさんの間違いによって、この地球に終わりを告げる事になるかどうかの瀬戸際に来ているのです。

貴方はたったいまこの地球が私たちによってどれほど傷つけられてきたかを読みましたね。そして、ここからが、この地球を私たち自身の力でどのように癒していく事が出来るかを話して行きたいと思います。この計画は地球のあらゆる箇所から彼女に活力を注ぎ、より、エネルギーを交流させ、この惑星を癒して行くための物なのです。

私たちは共に一つとなり、人類からの“愛の大波”のエネルギーを贈って母なる地球をリセットするのです。私たちが瞑想の為にいっせいに座り地球のあらゆる点から彼女へ一時間の間、愛を込めて祈りを送るのです。そうすることにより、同時に地球の全ての領域をつなげるのです。その過程で、私たちは私たち仲間の為に愛、平和、調和、および、団結した力で世界をより良い今と将来へと変えていくために心をつなぐのです。

この計画はあの湖で私を助け導いてくれた光の存在から与えられたのです。彼らはあの時以来ずっと私と共に居ます。そして、彼らは私たちの世界について、そして、私たちが愛と調和を持って平和の祈りと癒しの愛をこの地球に注ぎこむ力を持っているということについて語り続けています。彼らは私たちとそれに続く将来の世代を健康的で明るい未来へ導きたいと言っています。そして、その為に今行動していて、実際にそれは実行可能なのです。彼らはまた、私たちを知恵と大いなる力との再融合へと導きたいと言っています。

その光の存在は2007年7月17日に大いなる力と人類のエネルギーを通わせて発信する計画の事を“格子の発火”と呼んでいます。彼らはその格子に火を着けることで二つのことが達成されるといいます。まず、その癒しのエネルギーはこの地球の中心の核へと流れ込みこの惑星の心臓に脈動を与えるのです。

ちょうど私の亡くなり掛けている息子の体にエネルギーを注ぎこんだように、私たち一人一人が私たちの真の意志、一人一人の個性、そして癒しという贈り物を送るのです。

彼らが説明したように私の息子のエネルギーフィールドは今の地球のように酷く悪化していました。私たちは私たちの生きている命のエネルギーを地球に注ぎ込まなければなりません。そして、私たちの団結したエネルギーの蓄積で地球を立て直すのです。

彼らは人類は神のエネルギーをこの惑星にチャンネルする小さな避雷針のようだと言いました。なぜなら、人間が格子(避雷針)となる機能を完全に使っていないために私たちは自ら大いなる源から離れてしまっているからです。そして、そのために神のエネルギーがこの地球に流れ込む事を難しくしているのです。

もし私たちが一つになり、私たちの格子(避雷針)としての機能を取り戻す事を選ぶなら、私たちと神、神と地球、そして人と人との自然なエネルギーの流れが回復するのです。あなたがどれほど素晴らしいギフトを与える事が出来るかがわかりますか?
このエネルギーはこの地球とその住民の中に永遠に生き続けるのです。:私たちの創造主の輝く意図とは私たちの惑星の為にこの新しいエネルギーフィールドを作り出すことなのだとわかります。

どうすればいいの?と、あなたは思うでしょう。

それはグリニッジ時間の2007.7.17.日11時11分に起きます。私にはなぜ、この日で、この時間なのか説明は与えられていません。しかし、この日にちは何度も何度も繰り返し伝えられています。

私はこの時間から一時間の祈りまたは瞑想の為に地球のあらゆる場所から出来るだけ多くの人が参加できるよう、人を集めるよう言われています。貴方の助けがあれば私たちは今までこの世界が見たこともないほどの人類の連合を作れると思います。

愛のある人類の共有の一つの意志-私たちの惑星を癒す事、そして、私たちの魂を真の課題…私たちの光の源と一つになること。この座りながら行う地球の人々の計画は私たちが感じているこの世界の善良性と彼女の住民への愛と信頼を証明するでしょう。私たちは地球の回復への触媒です。真に信じるならばx10倍の力が共にあるので、もしあなたが信じるのだと思うだけで、他の人の信頼があなた自身の信頼を高めそのパワーはさらに強力になるのです。

それが私たちが皆、同時に座り、祈りもしくは瞑想しなければならない理由です。私たちはお互いにお互いのパワーを養い補い合い、お互いのエネルギーを結合させて、私たちの故郷の核へ送り込む力を強化するのです。

私たちひとりひとりが重要です。私たちが同時に力を合わせて団結する時に非常に強力な創造の源となるのです。

私たち一人一人が神の一部なのです。そして、その同じ創造のエネルギーは私たち全ての中にあることを憶えていてください。

現在、この計画を実行に移すために三種類の人類があります。まず、すでにある宗教に属していてその教義を実行している人達。私は貴方の信仰や真理を変えてくださいとは言いません。ただ、もし貴方の信じる神が真に全能であるならば全ての事が可能なはずです-だからこの計画も不可能ではないはずですよね。神の恵みと善良をもってこの地球と人類を統合する事に私たち人類のエネルギーと祈りを使うよりも良い使い道が他にありますか?

それから、特定の宗教は探していないけれど、何か他の、もっと個人的に創造主の光の中に生きる方法を探している人達です。それぞれのやり方で神を知るための道を探し求めようとしています。これらの人々を私は新しい時代のライトワーカーと呼びます。これらのライトワーカー達はこの言葉を真実だと感じるはずです。そして、私が今話している簡潔で明らかなこの地球をサポートする計画の言葉は全くの真実であると、心の深いところでただ、まっすぐに感じるはずです。

そして、形勢を見守る人達が三つ目のタイプです。私は貴方達を形勢を見守る人と呼ぶのは、貴方は本当は信仰を持っていたいと望んでいるのですが、世界が貴方をあまりにも打ちのめしてしまったため、貴方の中から信仰の気持ちを追い出してしまったのです。貴方は本当は心の底では信仰の愛の癒しを求めているのです;しかし貴方は神が私たちを見捨てたと感じているでしょう。

二年半前私もその一人でした。私はこの世界の現実に心を閉ざし、神が私の生活に介入したり助けてくれたりなどするわけがないと思っていました。私は神が私たちにこのような酷い混沌をもたらし、失望させる事に怒っていました。しかし、私は神が私たちが望む物だけを与えるのだということを見ました。私たちは、自分たちが罪人で神の愛に値しないと信じています。私たちは神の一部であるということ、そしてそれゆえ私たちは創造主と共にあるということを見失っています。

だから、私のように感じている人達、チャレンジしてみてください。貴方の人生の一時間だけ、懐疑論を中断してください。そして、一人もしくは他の人と座ってこの惑星の美しさ、あなたの持てる全ての事や物、貴方自身の全てに感謝してください。そして、私たち全ての為のより良い将来への希望を願ってください。

この計画は私たち一人一人のたった一時間だけで済むものです。私たちの結合したエネルギーはこの地球とお互いのために直接働きかけます。あなたがどうするか、その選択を貴方の意志で行ってください。

祈りを捧げて下さる人達へ。この壮大な一時間の任務をやり遂げる力と信仰を持てるように祈って下さい。

瞑想をする人達へ。瞑想しながら貴方の思考の意志が地球の内部深くへ渦巻きながら愛と癒しを運ぶ所を見て下さい。

特に何も信仰や瞑想の儀礼を持たない人達へ。ただシンプルに自分が良いと思う方法で行ってください。静かに座って、“私は私のエネルギーをこの世界とその人々を癒すために差し出します”などのシンプルなフレーズを繰り返すだけでも良いのです。希望、愛、変化のための望みなど、ポジティブな言葉なら何でも良いのです。それらの思考が現実を作り出すのです-私たちの新しい現実を。もし可能ならば、この時間、他の人達と集まってください。瞑想をする時に一人でするよりも他の人々と共に行ったほうがその効果が高まるのです。このウェブサイトを作るにあたり、私は
Bradfield と Anael  の音楽に魅了され続けています。彼らの音楽はこのウェブサイトのBGMとなっています。私の光の友達はこの "Sky Sent “という曲は魂の開化を容易にして波動を調整
するのに役立つといっています。私たちがより愛のエネルギーに溢れる時代に移行するにつれ、地球の波動も高まります。この曲のトーンの波動は私たちの魂の眠っている部分を目覚めさせ私たち全ての中にある可能性を呼び起こします。この曲はダウンロード出来ます。そしてもし、心を込めて注意深く聞くなら、言葉が真実だと感じるだけでなく、貴方の体が本当は貴方がどういう存在なのかという事を思い出すでしょう。

私たちはただ、この音楽の贈り物の可能性に対して心を開くだけで良いのです。もし貴方が他にも愛のある音楽を聴きたいと思われたら、同じアーティストによる瞑想用のCD "Buddha Spirit " や AnaelのSky 
SentのCDにあるこの "Spiritual Beings on a Human Journey " もお奨めです。この音楽はアセンション(次元上昇)の段階を容易にします。あなたは創造者の地球の贈り物の全てのワンダーと輝きを与えられている神の一部なのです。
この計画は実行出来ます。あの死にかけていた少年の生き返るまでのプロセスを思い出してください。そして、この計画を実行する人を地球規模で集めることが出来れば必ずこれは実現します。聖書の中でも10人の仲間を集める事ができなかったためにソドムとゴモラを救う事が出来ませんでした。私たちは、自分の人生の中のたった一時間を差し出すことだけで、私たち自身を救うチャンスを与えられているのです。ここ地球にはまだ良い人間がいるのだということを宇宙に向かって叫びましょう。偉大なる創造主にここには私たちが作られた真の目的に向かって進化していくための充分な人類がいるのだということを証明しましょう。

私は援助の存在が私たちのために送られてきているということを知らされています。私たちは奇跡を作り出す助けが出来るのです。

私の息子は今、裏庭で大喜びで元気に走り回っています。奇跡が彼を救ったのです。大いなるエネルギーからの贈り物と人々の救いの手を差し伸べる事をいとわない力によって、私たち自身を救う奇跡も起きるのです。

2007年7月17日 11:11グリニッジ時間の神の愛とパワーを私たち自身にもたらすための祈りに参加して下さい。この祈りに参加する事によりあなたは貴方の意志を宇宙に示し、そしてあなたはまた、宇宙によってこの惑星にポジティブな変化を望む人間として認識されるでしょう。認識されてください。そして、貴方の魂の光を燃え立たせて下さい。それによって、

私たちは世界に、宇宙に、お互いに本当のことを思い出すことになるのでしょう。


完 END

エレメンタルについて

私は長いこと、大学の勉強がなかなか進まなかったのですよね。ちょっとやってすぐ飽きて、ほかのことはじめてしまう。気晴らしの活動をしているうちに疲れて眠くなる、というパターン。誰のせいでもない、なんの言い訳もできない、ただただ自分にあきれかえるほかはない、そんなダメダメぶりでした。


でも最近どうしてもやらなきゃいけない事態になりました。それで追い詰められた苦し紛れに、自分にお願いをしてみました。両手でじぶんの頭をナデナデしながら「お願いします、お願いします。どうしても試験受けなきゃならないんです。受けたいんです。どうか勉強してください。がんばってください。ありがとね。ありがとね。」。


すると不思議なことに、集中力がとぎれず、勉強できました。自分に頼んだら変わった・・・驚きました。「とするとあれは自分じゃなかったのかな」、などと考えたりしました。


御しがたい自分・・・。


ダスカロスはエレメンタルついて語っています。エレメンタルは想念のエネルギーです。自分の中にあって、自分とは違うもの。自分をコントロールしてしまうエネルギー。ネガティブなエレメンタルの影響を受けないこと、ポジティブなエレメンタルを作ることが大切だといいます。


試験勉強をしていて、インターネットを見ていたら、性犯罪者処遇プログラムに関する記事を見つけました。性犯罪者というのは、まさに御しがたい感覚に突き動かされて行動してしまった人たちです。


サイト資料の44ページに、イギリスの「ウェストミッドランド保護観察所における性犯罪者処遇プログラム」というのがあります。


「船旅でどんな障害が起こりえるか?」という問いかけで、問題を乗り越えるための方策、準備、心構えなどをメンバーが答えていくワークが紹介されていました。じぶんたちの新しいライフスタイルもこれと同じなのだと学びます。その後、人生という旅における「目標」「障害」「対処方法」を書きます。


そのワークの中で、わが子に会うことを目標としているメンバーが、発表しながら泣き出し、ほかのメンバーが背中を優しくさするなど温かな交流がみられます。性犯罪者といっても生来の悪人ではないのですね。害のあるエレメンタルに乗っ取られた人たちです。


これは人ごとではなく、程度や被害の差こそあれ、私たちの中には、怒り、嫌悪感、欲望、気がかり、不安、怠け心、食べすぎ、浮気、ギャンブル依存などの御しがたいエネルギーがあります。やめたいのに、よくないとわかっているのに、やめられない、そういう自分がイヤ、という時があります。


その感覚・衝動を自分で選んだのかといえば、選んでいません。少なくとも意識では選んでいません。自分の心の中なのに、自分でコントロールできていないのです。ときに意志を上回る強大な力をもってしまいます。それがまさにエレメンタルというものです。


ダスカロスは、「エレメンタルと戦ってはいけない。戦えば負ける」といいます。たしかに、自分で選んだわけでもない感覚を禁止して、「そう感じる自分はダメ人間だ」と責めても、自分を追い詰めるだけで効果が少ないかもしれません。


ダスカロスは、エゴイズムやエレメンタルについて内省、研究することでエレメンタルを弱体化できるといいます。感じること自体は不可抗力でも「なぜそう感じるのか」「いつからあるのか」「本当は何を望んでいるのだろうか」と考察することはできます。不合理さを今以上にとことん知ることも役立つ場合があります。


ダスカロスはよいエレメンタルを作ることも提案しています。心の創造の力を使って新しいエレメンタルを作るのです。正反対のよいイメージをします。これらはいずれも意志で選択できることです。



またたとえばこのように考えるのはいかがでしょうか。「自分はどうしてもそう感じてしまう。けれど自分は人生をこう生きたい。大切なものを大切にしたい。感覚は変えられないけれど、行動や習慣は変えられる。これからは悪癖を思い出すきっかけになるような刺激をわざわざ自分に与えるのはやめよう。衝動を増幅させるような行動も慎もう」。このように選択できるところで選択します。私がやったように自分に頼むこともひとつの手かもしれません。


感覚に襲われたとき、「1時間おいてからまだそうしたかったらしよう」など、戦わずに気をちらすという工夫もあります。


自然発生的で不可抗力の感覚にたいして自分を責めて、自己嫌悪に陥ったあげくにヤケクソになって衝動に身をゆだねてしまうのではなく、それは「自分の意志とは別のもの」「自分の選択に関わらず存在しているもの」として、関わり方を意志で選ぶ方が得策なのかもしれないと思う今日このごろです。


みなさまのご意見や、「こうしたらうまくコントロールできた」という体験談などをぜひお聞かせください。




かぶの炒め物

これは、畑をやっている友達にもらったミニカブの炒め物です。


ミニカブ



勧められたとおり、おかかバター醤油炒めにして食べました。ごはんがすすむすすむ。どんだけ食べるんだいっ・・・ん?1合って感じで、食べてしまいました。間引きしたカブだそうですが、ベイビーカーブさまと呼びたい逸品でした。

「おぎなう聞き方」

わたしはよく「協調的な姿勢」について書くことがありますね。また「改革のために従来のやり方を理解すること」とか「人を許すこと」についても書きます。


そう読めば、私が協調的で、理解のある人間に見えますよね。人とくらべてそうであるようにみえるかもしれません。でも本当にそうなのでしょうか・・・。たしかに前より協調的だというのは本当です。でも、ずっとそうだったとか、読者の方よりそうだ、というのはわからないのです。むしろ、以前はぜんぜん違って反対だったいえます。


実際、わたしはアウトサイダーのように生きてきました。独自のやり方で試行錯誤した結果、主流派・保守派の意見にもそれなりの理があるとわかり、まえほど無視しなくなりました。単独行動をとってきたから仲間のありがたさがわかりました。自分を侵食させないで、たたかって、あとで相手を理解したり許したりする傾向がありました。人が想像する以上に風変わりで自由にやってきたし、今でもその傾向は残っています。人とくらべて協調的とはいえないのです。


つまり言葉と、話し手の実際のあり方にはズレがあるのですね。


一般に、聞き手は、言葉をそのまま受けとります。場合によってはそのために混乱することもあります。


話し手のようになりたいと思えば、言うとおりにするかもしれません。言うとおりにしてうまくいかない場合でも、「さらに言うとおりにすればそうなれる」と思うかもしれません。


また、話し手の言葉と実際のあり方に矛盾があると、混乱して、「嘘つき」「矛盾してる」と責めるかもしれません。


それらは、語られる言葉と、話し手が実際にいる位置がイコールだと思うから起きる問題です。多くの場合、言うことと、実際にいる位置はちがいます。


人の話から、客観的に相手のいる位置を把握するのは、電話で道案内するようなものです。まずは相手がどこにいるか位置確認しますね。相手はそこから見えるまわりの風景をしゃべっています。それをきいて、じぶんは地図を見ているとします。「南にむかって歩いてきたの」と言われて、「さっきいたところよりは南なんだな」と思うけど「自分ちより南」とか「世界的にみて南」とか思いませんよね。


人は気づいたことを話すことがおおいです。気づきは新たな発見で、今までとは違っているってことです。今まで当然であったこと、前提、出発点については気づきにくく、話されないことが多いのです。人があえて言うことは、最近気づいばかりで、身についてないことかもしれません。


「他店より安い」と主張する店が、べらぼうにケタ外れに別の国のように安い店ではありませんよね。「これからは若い人の新しい意見をとりいれて会社の保守的な体質を壊したい」という上司に意見を言ってみると案外保守派ですね。「気にしないでいいからね」と何度も言う人といて本当に気にしなかったらいやがられますね。


「だって言ったじゃん」とこちらは思うわけです。それが言葉を額面通りに受けとっていることなのです。「南」といわれて「世界の南なんだ」と思うわけです。話し手が不誠実なのではありません。話し手はただ主観的なのです。


「他店より安い」というA店と、「高くて悪いね」というB店と、なんにもいわないC店をみて、「A店が一番安い。B店が一番高い」と判断したら間違います。A店の店主は今より高いところに基準があり、B店の店主は今より安いところに基準があります。C店の基準はまだわかりません。規格外に安い可能性があるのはB店とC店です。


「気にしないでいい」という人の「気にするレベル」が100だとしたら「50で良い」といっているのかもしれません。いつも0の自分にとっては50がんばるってことだったりします。



地図をみながら電話でナビするとき、「さっきどんな建物があった?どっちに見えた?」ってきくように、基準や軸がどこにあるのか、何とくらべて言ってるのか、何を普通と考えているのか、前はどこにいたのか、語られていない前提を探すとわかりやすくなります。


逆に話し手になるときも、基準点を明確にして、実例をいれて話すと、理解されやすいかなと思います。

きょうのできごと

朝おきて、ねぼけまなこでトイレに入ったら、うぐいすがいました。ビックリしました。うぐいすもビックリしたらしくバタバタ逃げ回っています。どうやら窓から入ってしまったようです。


トイレの後というわけにはいかないようなので、つかまえるものを探しにいきました。「ついでに写真とろ~かな」なんて雑念もちつつ、カップ状のものを探し、「これはちょっと不透明で写りがわるい。これは青で・・・」なんてモタモタしている間に、うぐいすは無事お外に逃げたようです。まあ、なによりでした。


それにしても、いつもトイレのフタを閉めないのに、昨日の夜にかぎって無意識に閉めたらしい。予知だったのか臭かったのかわかりませんが、よかったです。トイレのフタをしめるのは金運によいとききますが、うぐいすにもいいですね。

「Ashes and Snow」

お台場で開催されている「Ashes and Snow」の動画があると聞いたので、見てみました。とても素敵です~。よかったらご覧くださいね~。

気づきの体験レポート

今日は、セッションにいらした方(匿名希望さん)が書いてくださったレポートを載せます。セラピーを実際の人間関係に応用し、変化をうみだしていかれました。このような体験にもとづいた洞察は意味深いものだと感じます。気づきをシェアしてくださってありがとうございます。


「受け入れることで得られたもの」


「わかるよ、よくわかるよ」と言う言葉は、魔法の言葉だと思います。


まるで、あらゆる料理がおいしくなる魔法の調味料『クレイジーソルト』みたいに、「いまだ!」と思う時に、ササッと相手にこの言葉をかけてあげます。


すると、それまでかたくなだった相手の心が、かけた瞬間にゆるやかにほどけていくのが目に見えて分かります。


「わかるよ」という言葉は、相手を受け入れる言葉で、簡単な単語なのですが、結局は相手のことを慮ったり、寄り添うような言葉はすべて、相手の心に響いて、相手側からもこちらへの受け入れの準備が整うようです。


使い方はいたって簡単で、最初はそれほど同調する必要はなく、私も「なんとか共感できる部分はないものだろうか?!」と探していました。でも、少しでも「大変だったんだろうな」「この部分はイヤだったんじゃないかな」と、思える部分があったら『クレイジーソルト』の出番です。


たとえば、煩雑で忙しい仕事内容があったのですが、その期間中はある同僚とちょっと険悪なムードになってしまいました。


ある日、その同僚はすでに確認した内容さえも忘れてしまい、席が近いのにも拘らず、もう一度、仕事の依頼のメールでしてきました。


心の中では一瞬、「なんだよ」と思ったのですが、気持ちを切り替えてこうメールを打ちました。


「おつかれさまです。この件は大丈夫ですよ。念のため、もう一度確認事項を挙げますね」


と、同僚からのメールでCCにも入っていた人たちも含めたこのメールを打った後に、その同僚にだけ
「おつかれさまです。こんなに忙しいと訳わかんなくなってきちゃうよね。今回も、準備など大変でしたね。いろいろとありがとうございました。」


と書いたところ、それまでの険悪な雰囲気はなくなり、その後のふたたび人間関係がスムーズになりました。



この言葉を使い始めてから、約半年がたつのですが、新たな展開がありました。


同僚のそれ以上に、険悪な関係だった上司との関係改善です。その当時は、歩み寄りは無理だと思っていました。


メールでの陰湿な応酬があったり、仕事を許容量以上に押し付けられたりする日々が1年半つづきました。その当時は、私も上司を思いやることもなく相手の領域にずけずけ入ったり、きつい言葉が多く、「わかるよ、よくわかるよ」なんて言葉は、無縁でした。



しかし、ユーリさんとのセッションから教えていただいた内容を織り交ぜながら、なるべく仕事の依頼はいやな顔ひとつせず、受け入れるようにして、対話の時でも攻撃するような発言は避けるようにしていくうちに、上司に「立場的につらいですよね」「こういう事情があるでしょうから、いつまででいいのでしていただけると、ありがたいのですが・・・」と言う感じの言い方が増えていくようになりました。



同時に、周りが失笑していたような上司の言動にも、私の方から進んで明るく転換することによって、「おかしな人」から「おもしろい人」へと周りの上司への評価も変わって行きました。


これは、ユーリさんにセラピーをお願いしているうちに出てきた対処法で、「分別くさい顔で接するよりも、明るく底抜けに陽気に対応する」ことが効きました。


すると、最近、とても感動する出来事が起こったのです。



永らくの出張やオフィス不在中にチェックをお願いしていた書類があったのですが、チェックを終えた上司から返ってきたそれに、付箋で「手打ちで書いてるんだったら、○○○の資料からコピペしたらいいかも」と、メモが書いてあったのです。


○○○と言うのは、上司が作っている社内用の書類で、今までは責任を負いたくがないために、彼女は資料の活用に消極的でした。


また、この種のおせっかい的な思いやりも気遣いの欠片もなかった人からの思わぬメモでした。


正直言って、一瞬、何が起こったのかわからなかったので意図するものに気づかず、既に実行していたことなので「何を今さら・・・」と言う気持ちと、「いいかも」と書いたあたりに自分の意見に対して自信がない上司の性格が書き方ににじみ出ていて、やや苦笑いをしてしまったのですが、上司の歩み寄りの姿にじわじわと感動がこみあげてきました。


陰気だったあの人がここまで変われるんだなぁ・・・と、親心にも似た気持ちにもなりました。


でも、変わったのは上司だけではなく、私も変わっていたのでした。


人からの直接的な評価は、かなり大幅に自分が変容しないともたらされないと思うのですが、まわりから「丸くなったね」「変わりましたよね、話しやすくなりました」・・・しまいには、「かわいくなった」とまで言われたのです。(笑)


おそるべき、『クレイジーソルト』の威力です。



その根底には、ユーリさんのセラピーで導かれた
◎ 「相手と違っていていい」ことを認識する
◎ 思ったとおり浮かぶまんまの言葉を言うと全体の60%に誤解が生じる
◎ 感情を交えずに相手の話をただ聞いてみる
と言ったことがあったかもしれません。先ほど、慮ると書きましたが、相手に同化する必要はなくて「そうだよね、わかるよ」と自分が言えるためにも、もっと機械的に自分にとっても「共感できる部分」を探す作業に近いと思います。


また、相手も自分も誤解の恐れの上に、コミュニケーションを成り立たせていると気づいたら、それを知っているのと知らないのとでは気持ちの持ちようにも大きな違いが出てくるのではないでしょうか。所詮、最初から分かり合えると言うのは難しいということなのです。



ですが、こんな考察や難しいことは抜きにしても「わかるよ、よくわかるよ」の言葉は、本当に魔法の言葉であり、しかもいくら使っても減ることがない!とてもすばらしい『クレイジーソルト』なので、いつでもどこでもどんなことにでも、使ってみてください。


相手が「理解された」と思って、気持ちが浄化されるのか目が潤むことさえあるのです。使ってみると、その効果にきっと驚かれると思います。



長文、最後まで読んでいただいてありがとうございました。

きょうのできごと

今日は、フリーライターのらる~さんと一緒に、Rumichiさんのお宅に行きました。


おふたりとも私の友人で、ちょくにブログのコメントやメールでのやりとりをされていたので、今日は初対面の機会をもうけた次第です。初対面のはずなのに、話題豊富なふたりはあっという間になじんでいてびっくりでした。


Rumichiさんが出してくれたお昼ご飯です。おにぎり一口かじってから、写真とること思いついたので、ちょっとかけています。




ルミチごはん

このごろ思うこと

ユーリです。いつも更新が遅くてごめんなさい。こんなまばらな更新なのに見てくださって、ほんとにありがたく、もうしわけなく、感謝しています。


今日は「バベル」という映画を見ました。縁がよくあらわれてて実話っぽいなと思いました。


カルマとか因縁といわれるものは、ひとつの形・結晶がパーっとちらばるみたいに、同じような構造がいくつもあらわれます。


同じ構造があらわれるのはどういうことかというと・・・・・・たとえば朝、夢を2,3覚えていると、それらの夢に共通する展開やパターンがわかることがありますね(と同意を求められても困るか・・・)。夢解釈するように現実を見ていると、くりかえされているパターンや展開が見えてくることがあります。


それを私は構造といいますが、カルマも、・・・・・・たぶんチャックスペザーノ博士のいう「物語(ストーリー)」も同じ意味です。


夢の世界にでてくる登場人物はぜんぶ自分の一面ですね。だから主語述語にそれほど意味はありませんし、悪者探しは無意味です。それより何がおきているか、ということの方が大事ですよね。


カルマでもそれは同じです。悪者とか被害者は、ひとつの場面だけならハッキリ断定できます。けれど通してみると、全部自分の一面ともいえます。する側・される側・見る側と、どの角度から関わるかはその時々でいろいろで、ロールプレイするように役割が変わります。


だから「そういう世界にいる」としかいえないし、問題は「関係性が悪い」ということです。変えるべきは関係のあり方です。断罪、追放されるべき人はいません。


潜在的に、相乗効果を起こす構造をもつメンバーが集まれば、ひとつの出来事に結晶していきやすいようです。そうすると流れやすい方向、起きがちなことがあります。潜在意識、直感、ワクワクにしたがっていても、その出来事が起きるほうにいきます。いや、したがっているほど、起きるほうにいくと言ってもいいかもしれません。


「カルマ」という言葉は、「自業自得」みたいな意味で、傷ついている人を冷たく切り捨てたり、苦しんでいる自分をさらにいためつけるように使ってしまうことがあります。でもそういう使い方だと悪者探しとおんなじなのです。カルマという考えは、人の苦しみや訴えに耳をふさぐための言い訳として使うものではありません。


むしろヒントを見つけるために使います。その点「構造が繰り返されている」といった方がニュートラルな感じだし、悪者探しにならないので私は好きです。構造がわかれば、体のツボのように、大きな問題を変える別のポイントを見つけることが可能かもしれません。流れを変えていくにはある程度、自然な気持ちに逆らうことが必要です。起きがちなことが予想できたら、意識的に回避できます。そんな肯定的な使い方ができたらいいですね。
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ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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