最力通告

昨日テレビを見ていたら、箱根駅伝予選会のニュースがやっていました。個人優勝した山梨学院大のモグスは、ケニア人留学生で、チームの大黒柱。前回大会では失速して、チームは敗退、モグスは走り終わったあと運ばれながら泣いていました。「今までで一番惨めだった」と悔し涙したそうです。チームのみんなに応えるために、悔しさをバネに、モグスはその後毎日30キロの走りこみをしました。本番20キロの1・5倍ですよね。「予選会から全力で行く」という宣言通り、大会記録を21秒更新して新記録を出しました。チーム全体でも4位で予選通過したそうです。




今までで一番惨めな結果から、がんばれるんですね。偉いですね。ふと「最力通告」という言葉が浮かびました。勝手な造語です。最後通告っぽいけど「がんばれよ」ふうの意味です。




モグスの話とは違いますが、人って、恵まれた環境でいても、不安や自己嫌悪でうずくまることがあります。これ以上環境が整えばいいという状況ではないのに頑張れないことがあります。寝ていても気持ちが変わるわけはなく、行動しなければ状況は変わらない、状況がよくならないまま時間がすぎていけば、当然気分はさらに悪くなり、さらに将来が怖くなって、さらに逃げたくなるという悪循環になります。




寝込んでいる環境だってみんなの努力や好意でなりたっている無言の応援です。無駄に生きているとしか思えないときだって生き物の命を食べています。それがわかっているからこそ、プレッシャーや自己嫌悪を感じるし、恵まれた環境がなくなる日を恐れ、さらにうずくまるというスパイラル。




考えは自分を追いつめていきます。何歳だから今からでは遅いとか、すでに貫禄ついてるべき年齢のはずだとか、体力なくなってきたとか、もう楽をしてもいい年だとか・・・願望だって、恩だって、ギャップを意識させ、行動を抑制する場合は、役にたってないです。




直面できなくて気持ちを逃がすために、眠りや遊びやお酒、果ては眠りながらするイメージ法でさえ使うことがあります。本来の使い方ではなく、逃げとして使っていたら、本来の力はでません。




たぶん最悪な事態のときに大事でないのは、気持ち的にがんばることでしょう。大きなものに立ち向かうような気持ちのふんばりでしょう。ポジティブな考えでも、力みすぎて続けられなかったり、行動をさえぎるような働きをするなら、縛りです。これは寝込ませる考えなのか、行動させる考えなのか、ということを考えて、寝込ませる考えなら、それが真実であっても、いったんその考えから離れた方がいいのかもしれません。




最悪な事態のときに大事なのは、今日の分だけ練習メニューをこなすような淡々としたがんばりです。希望ではなく、必然的・結果的に当然そうなるような行動を淡々と積み上げていくことです。今、何かに逃げようとする自分を逃がさないふんばりだけです。そう限定してしまった方がかえってやりやすいです。




山登りでも「あの山に登るぞ」と意気込んでいるのは登る前と登りはじめだけで、実際登っていくと疲れすぎてなんにも考えられなくなります。ヘロヘロのヨロヨロでも、とりあえず一歩ずつ歩いていくだけで頂上につきます。




「登るぞ」という最初の決意も必要ですし、登りさえすればいい道に乗っかっていればという話ですよね。でもたとえ山で道に迷ったときでさえ、助かるためには上に登るそうです。今いるところにうずくまったり、いきなり里に出ようとしたり、沢を下ったりしないで、あがっていった方が助かるのです。もっている地図やコンパスと風景をてらしあわせて、全体像や現在位置をできるようになるために、とりあえず上へ登ります。わからないからこそ、わかるために、登ります。高いところにいた方が救助隊にも発見されやすくなります。




その知恵は、人生でも応用できそうです。今より一歩あがる方向をめざすこと、壮大な考えより具体的な行動、といえそうです。それが傍から見ると「苦難にめげずがんばった」こと、「恩に報いた」ことになるのであって、「報いよう」としなくても結果としてそうなるだけなのでしょう。




スピリチュアルな世界でも、集中してとりくめばバイブレーションがあがるといいます。自分のバイブレーションがあがれば、周りにある高いバイブレーションが流れ込んで、よい閃きがおきやすくなります。次のステージに行けたりします。人間は発電所みたいに自ら自分で光を発することができる存在なのだな、と思います。


Run for the Cure

「Run for the Cure」というイベントに参加してきました。乳がん早期発見啓発チャリティランニング・ウオーキングのイベントです。このイベントは、外資系の会社9社が共催していて、外国の方も大勢参加していました。男性も多く、乳母車引きながら家族で歩くとか、いろいろな参加の仕方があるようです。


日比谷シティでオープニングセレモニーが開かれました。


RUN for the CURE2



風船屋さんとかタコス屋さんとかあってにぎやかです。


RUN for the CURE3



皇居のまわり10キロ走る人、5キロ走る人、5キロ歩く人にわかれてスタートします。


RUN for the CURE4




秋晴れの日に皇居の周りを歩くのはすがすがしいです。ウォーキングのコースとしては最高です。


RUN for the CURE9



ふだんめったに歩かない私は、歩きの部でも特に遅かったらしく、ふりむいたら誰もいなくなって、ちょっと走りました。まって~。


RUN for the CURE8



桜田門でゴール。完歩。よかったよかった。


RUN for the CURE6





そのあとブリストルマイヤーズ社のファミリーデイに招待していただきました。歩いたあとのビールがおいし~!ビュッフェでお昼いただてショーを見ました。



RUN for the CURE7

動機を愛にすること

私は、プライベートな人間関係で、問題を指摘する手紙を書いたことが2回あります。



自分が意見することに怒るかもしれないと思って言わずにきたことでした。私は言わずにいることが多く、どこか心の中で相手にあきれたり見捨てたりしていました。



でももしテレパシーでなにもかも伝わっていたとしたら・・・、気づかなくても影響を与えていたとしたら・・・、何も言わず押し黙っていても想念が影響するなら、むしろひどかったのは自分かもしれないのです。



明日も関係性を維持していくために言いたいことを言わずにきただけで、保身が目的で、思いやりではありませんでした。それを続けていたら相手がうまくいかなくなると思っているのに自業自得と思っていました。まったく愛がありませんでした。


あるときそのことに気づいて反省しました。



宇宙で星と星が一度だけ近づいて出会って、すれ違ったらもう二度と出会うことはない、そんなふうな関係だとイメージしてみました。



この人生での出会いが最初で最後だとしたら・・・もう来世で会うこともないとしたら・・・自分はどうするのだろう。



たった一度の出会いの中で、愛をこめて最高の贈り物をすること・・・それを一期一会というそうです。



一期一会のように、相手への最高の贈り物をしようと思ったら、そのとき贈るものは、「NO」と伝えることでした。



言って嫌がられることもわかっていました。でも言って、どういう反応を自分が受けるかは別として、言えば相手はあとあと思い出すかもしれません。何年後かにでも、相手が考える気になったとき「そういえばあんなこと言ってたな」って思い出すことができます。



でも言わなければ、相手には思い出す可能性すらありません。



自分が出会った縁を大切にして贈り物として手紙を書きました。
長い手紙になりました。



書いては読み直しの連続です。
何時間もかけて「これで完成した」と思うところまでやって
翌日みると、また気づくことがあります。
時間を置くことで違う視点から見れるようです。
消したり直したり書き加えたりすること自体が、考えていることになるみたいです。
書いているうちに自分の気持ちとか、相手の事情とか、いろいろわかってきます。
毎日書きすぎてわからなくなったら2、3日あけて読み直すと、客観的にみれたりします。



毎日パソコンの前に座って
1、2ヶ月、その作業を繰り返しました。


すると、だんだん考えが深まって深まって、
ある日とうとう新しいことに気づくのです。
今まで気づかなかった領域の気づきです。



そしてその手紙は結局、2回やって2回とも、
相手よりも自分自身へのメッセージでした。
相手を通して自分が学ぶことでした。
誰よりも深く自分が癒されました。



結局手紙は出さないこともありました。
出した場合も出さない場合も、自分の気持ちが変わっているので、相手との関係はよくなりました。



手紙が自分を癒したのは、動機が憎しみやパターンを超えて、自分にとっては初めての愛の領域にはいったためです。ただ欠点を書いた手紙を書けばいいというわけではありません。初めての愛の多さで、新しく何かを始める気概が大事です。一期一会の愛の贈り物として、表現や形はさまざまになります。受容することでも、別れることでも、ありえます。


でも、まっすぐに愛するとき必然的におきてくる表面的ないざこざを恐れないことも、ときには大切かもしれません。表面的にはケンカやダメ出しであっても、自分自身の心を愛で貫くことは、ときにはとても癒しの力を持つものかもしれません。




気をはらないで気を抜かないこと

「○○さんはこういうところがあるよね」と欠点を指摘することがありますよね。



そのとき、欠点があると言うことが、「だから嫌い」とか、「だから許せない」という意識とともに使われるときがあります。でも同じ「こういう欠点があるよね」と言っても、ペットとか、子ども、家族のことを話しているとき、ほめているのと変わらない、いとおしむような、優しいまなざしで言う場合もあります。



結婚相手の家族のことでもめごとになったとき、相手にわかってもらえない感覚がするのは、この意識のズレです。「こういう所がある」(→だから一緒に責めてほしい)と思っているのに、「確かにそうだよね」というだけで相手の一貫した愛が変わらないからです。



欠点があることが愛さない理由にはなりません。欠点があることを知っていることと、愛することは別問題です。



私たちを見守ってくれる存在やマスターたちの愛し方は、このような愛に近いと思います。私たちの欠点が気づかれていないわけではありません。スケスケにバレてます。私たちの想念の動きを感じ取れればわかります。ただいちいち指摘したりはしないだけです。そのままでいいと思われているわけでもありません。それでも私たちは愛されています。



私たちは、相手が自分を受け入れてくれるかどうかわからない間、緊張しておとなしくしています。本当の自分を知ったら嫌われると心配します。でもひとたび受け入れられたとホッとしたら、自分の想念を正していこうとする気持ちがなくなって、思いたい放題思うわけです。ほんとうに大切で難しいのは、リラックスしながら、たゆみなく自分を変化させていく姿勢を持ち続けることです。



私たちは、どれほど愛とはかけ離れた想念をもつでしょうか。瞬間的な想念を正直に観察してみれば、ホントに失礼なことを思っています。



あら探しをしたり、値踏みしたり、駆け引きしたり、見捨てたり、殺したりします。応援したかと思えば今度は負けるのを心待ちにします。、ひとりじめしたくて好きな人が孤独になればいいと思ったり、欲情して犯したり、いっそ一緒に死のうとか、相手を生かさない思いを持ちます。愛に恵まれても自分が長く愛せません。10年後20年後も大切に思って愛を表しているでしょうか。思い通りにならないとき、心の中で存在をなきものにしないでしょうか。もし私たちがデスノートをもってたら、世界一の権力者なら、ネロやスターリンやポルポト顔負けの世界を作りかねない心を持っていませんか。



私たち自身の安定感、人への信頼感は、自分が愛する愛の確かさによっています。相手に欠点があっても肯定的な姿勢を待ちつづけられる自分であれば、自分もまた誰かの目におびえなくてすみます。自分の愛の欠如から不安でいたたまれなり、より確かな愛をもっている人をねぐらにしたいと思います。それも与える愛ではなく、容器やツールとしてもっておきたいだけです。



愛と似ても似つかない自分自身の想念の世界が地獄なのです。私たちを導いてくれる存在が、私たちを助けることが難しいのは、助け出されなければならない地獄が、私たち自身と一体化した考え、感覚だからです。私たちは自分の考え、感覚を変えるより、その試験をパスして近づいてきてくれる人を待つ方が自然だと思っているのです。



完全に自由が許されている自分の想念界、夢の世界で、この世の法律以上に愛に満ちた法がしかれているでしょうか。



私たちの心の中には、過去世か、先祖か、場の影響か、習慣か、テレビ番組のせいかわからないけれども、自分で選択したつもりはない、たくさんの想念が湧きおこります。沢山の愛も湧き起ります。



瞬間的に湧きおこる想念は自然発生的ですが、その中の何を選んで生きるかは私たちの「意志」です。言葉や行動にうつすには私たち自身の選択が働きます。その点が一番大きな点です。ここは、マスターも神さまも、誰も、助けられない点です。分岐点はその決定にあります。どこかで「これでいい」と思っている言動が何回か繰り返されることで、大きな流れが決まります。



マスターより自分の決定が優先されます。私たちの自由意志が尊重されます。私たちは誰しも聖書の放蕩息子のような存在だから、どれだけ長い時間楽しんできてもいいそうです。マスターたちは責めません。ちょっと言って離れて、遠くから、変わらず私たちを愛し続けてくれます。



だから、困るのです。



いっそもっと介入してくれればいいのにと思います。「介入してほしい」と強く願えば介入してくれるかもしれません。でも、瞬間的には「介入するなよな」と強く思ってしまうわけですから、なかなか難しいです。



マスターや先生に指摘されなくても、たゆみなく学び続けることはできます。それは、自分が大事にするものをもつことです。それがパートナーでも、仕事でも、ペットでも、植物を育てるのでも。出会えて本当によかったと思えたもの、守りたいもの、愛しているものがいいです。主体的に愛します。問題がおきたとき挑戦を受けます。愛するのをやめたくなります。精神的ひきこもりにならず、あきらめず、愛し続けようとすれば、あらゆる工夫をして変え続けるしかありません。



何かおきたらすべて自分のせいにして、結果に責任をもつことです。相手のせいにしません。自分のせいにしたフリをして逃げたりしません。とにかくあきらめないで、よい結果がでるために、自分が何を問われているのか考えて、成功するまで工夫し続ければ、絶対正しいと思って譲らなかった自分の感覚、考え、信念も変えていかざるをえません。やがてはよい結果の定義さえも変えていくことになるかもしれません。



自分の選択によっては、大きな傷をこうむるほど近くにきてくれたパートナーや子どもが、喜んで身をさしだしてくれている動植物や地球が、任せられた仕事が、いま与えられていること自体が愛されていることです。自由を許されている無条件の愛です。この関係でもっと喜びがふかまるために、今できる最高の愛を出すとしたらなんでしょうか。



自己正当化して忘れている場合じゃありません。口達者で言い負かしている場合じゃありません。たとえ誰に責められなくても、自分で日々テーマを見つけては向き合っていきましょう。愛すれば、知恵と愛と力を身につけるレッスンとして問題がおきてきます。愛すれば、すべての問題は福音になります。問題をこえてまだ一緒にいることを選ぶたび、私たちは恵みにふさわしい人間になっていきます。



緊張はしない、でも気を抜かないことが大切だとダスカロスサークルで学びました。安心してリラックスしながら、自分自身の内面世界を変えていきましょう。自分の心のどこをきっても、いつの時点をとっても、自分の心が現実に映し出されたとき、大切なものが大切にされている世界でありますように。


ジブリの背景画

この間『ジブリの絵職人・男鹿和雄展』のチケットをいただいたので行ってきました。すごいきれいでした。絵を描く工程を撮影したビデオがあって、1枚に11時間ぐらいかけて書くんだそうです。いつの間にか、光がさした陰影のある絵ができあがっていくのが魔法みたいでした。うまいを超えて驚愕の技でございます。写真撮影ができるコーナーがあったのでとってきました。




ジブリの絵職人 男鹿和雄展1








ジブリの絵職人 男鹿和雄展2





ピンクリボン

今度10月20日に、ピンクリボンのウォーキング「Run for the Cure」に参加します(トップページはこちらです)。「Run for the Cure」というのは、乳がん早期発見啓発チャリティランニング・ウオーキングです。皇居一周走るか、歩くか、ということで、私は歩きの部で参加します。私は代替療法や民間療法で育ってきましたけれど、今は西洋医学も大事だと考えています。よかったら参加されてください。


白山

更新が遅くなってすみませんでした。


石川県の白山に行ってきました。


一人で行くつもりだったのですが、なぜか当日になって父が一緒に行くことになりました。


急だったからか、予備知識がないからか、父は紙袋にレインコートだけ入れて軽装できました。オヨヨ。それで登山靴を買って、洋服と杖はシェアすることにしました。


車で夜8時ぐらいに東京をでて、朝7時ごろついて、登り始めました。ゴミ収集もしながら登りました。わざと捨てたような感じのゴミは全然なくてきれいでした。普通の人の倍くらいの時間をかけて登りました。


山の上は霧で真っ白でした。すごい寒かったです。頂上には白山神社の奥宮があります。すばらしいエネルギーと噂にはきいていました。ほんとうですね。気づきが沢山あります。質問と同時に答えがきます。こういう感じは、戸隠登山のときも体験しましたが、何かに気づくということも、単に自分のせいだけでおきているわけではなくて、場所のエネルギーにも影響を受けています。バイブレーションがあがったときに、気づきが起きるとも聞きます。こういう高いバイブレーションのある場所が残っていることがありがたいことです。立地条件と、それを守ってきた沢山の人たちの努力のおかげです。


下山後、しらかわ温泉という日帰り温泉に寄って、また徹夜で車を運転して帰りました。









プロフィール

ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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