心の世界について、思うことを書いていきます。 (実際には日常的なことばかり書いてます)
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明日から、精神障害者生活訓練施設で教育実習です。初日からいきなりプールの行事があるそうです。プールあんま好きじゃないの、水着がやなの、・・・でもそんなこと言えない立場・・・と憂いていたら、袖ありズボン風水着を教えてもらって、ちょっと気が安らぎました(涙)。がんばってきます。
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多くの密教や精神世界で共通にいわれているのは「すべて因果律だ」ということですね。現在の状況はなんらかの因果律で起きているものです。
ただ、今となってはこうなった理由はわからないし、理由を考えても悪者探しになるだけで、状況を受け入れることにも変化することにも役立たない場合もあります。 でも、そんな時でも心は創造の力をもっています。心がつづけている創造活動があります。 人間は神の子だといわれます。潜在意識は過去の記憶の倉庫であり、また願いをいれると叶えてくれるアラジンの魔法のランプでもあります。イメージ、意志、感情、欲望などが創造の道具です。 今おきている状況におうじて、自然な感情や思考で反応していると、何を作り出しているか管理していないことになります。ネガティブな状況にネガティブな反応が自然に引き出されているだけでは、状況を打破する力は生まれません。ものすごい苦労が続いていたら、苦しくて恨んだり、やけになって八つ当たりしたり、なぐさめを求めて人や自分を傷つけることもいとわなくなってしまうほうが自然です。自然な反応をしているだけだと、人も自分も傷つけ、ますます神から遠ざかる創造をしてしまいます。 潜在意識は魔法のランプであるとともに、過去の記憶や欲望の倉庫でもあります。ですので風任せでは、魔法のランプは過去を反復強化し、無目的な欲望につきうごかされがちです。 魔法のランプは道具、なにもかも任せてはいきづまります。舵取りは意志がおこなうものです。目標は意図しなければなりません。意志が愛と知恵に満ちていてこそ、潜在意識の力が生かされます。ダスカロスは、知恵と愛と力の三角形のバランスがとれていることが大切だと教えています。力と知恵と愛が重なったところから創造していくことが、神をあらわす創造なのだと思います。 チャクラを下からいうと、生きることが第1チャクラ、力は第2チャクラ、欲望は第3チャクラ、愛は第4チャクラ、表現が第5チャクラ、意志は第6チャクラ、知恵は第7チャクラです。もしも上から優先度が高いのだとすれば、天に導かれた「知恵」としての「意志」を「表現」したものが「愛」で、愛に基づく「欲望」によって「力」を行使するために肉体として「生きる」ということでしょうか。こんな単純な優先順番ではないでしょうが、それらが1本に矛盾なく通じあうところが天と地をむすぶ創造なのでしょう。 私たちが方法をゆだねる場合でも、ゆだねたのにはよりよい理由があったはず、そのよい目的は手放す必要はありません。よい目的が、さらに上位の目的に吸収されて消えていくことはありますが、なにもかもを手放すわけではありません。 今何が起きてくるかで自分を責めたりジャッジしたりすることに、心を使うのではなく、つねに心の使い方を選んでいくことが大切です。そもそもどんなカルマが私たちにあるかなんて、自覚しきれません。心を意図的に使い始めたのが10年前であっても、その前からの原因もあります。家系や国や地球のカルマまで含んですべてが癒されるようにものごとが起きてきています。今起きてくることをすべてコントロールすることはできません。状況をコントロールしようとしすぎると、いたずらに自分を責めたり、悪者探しでイライラします。原因は現状否認したい気持ちから探すものではなく、冷静に淡々と探して変えていくものです。 過去に罪のない人も、過ちのない人もいません。状況を完全制覇して人生をうまく乗り切ったウィナーになって何かを証明することではなく、どんな状況であっても、心を自覚的に使い続けることのほうが大切です。 つらいとき、因果律は未来にたいして思えばいいもの。今は未来の原因になります。今の自分のあり方は、今までの流れにプラスアルファを加え、未来の方向性は変わっていきます。私たちは神の子として、力のある自分を自覚して、どんなときでも明確な選択をしていきましょう。 |
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昨日、駐車券をもって小銭入れを探していたら、駐車券の角が目にあたって、白目をケガしてしまいました。
そういや昨日の朝みた夢とぴったんこ。 朝、ワープロで夢日記を打っているので、帰ってから保存してあった夢日記をひらいてみました。 「友人Aと待ち合わせした。Aは視覚障害者のように目を閉じて歩いて待ち合わせ場所にやってきた」 「Aと別れたあと友人Bとデパートを歩いた。Bも目を閉じたまま歩いている。デパートの試食コーナーで目を閉じたままいっぱい食べている」 と、目を閉じて歩いている人がふたりでています。 その後、 「通路で、私とすれちがった外人女性が、私の体についた細かいゴミをみつけてとってくれた。左目の中に入っているゴミをとってくれたのが少し痛かった」 とあります。ケガしたのは左目です。 昨日は友達の家で夕飯をおよばれする予定でした。 ケガをして、一瞬やめようかと思ったのですが、やっぱり行くことにしました。「待ち合わせ」とか「試食」などのキーワードが、予定通り行くことをあらわしていたのですね。 夢って不思議ですよね。夢の方が現実より先に物事がおきています。 こんなにわかっているのだから、ちゃんと注意して避けたらよかったのですけれど、ボヤ〜っとしたままワープロに夢日記打って、あとすっかり忘れて日常生活していたから、潜在意識からのお知らせも届かず撃沈。潜ちゃん、ごめん。 と書いていて思い出しました。 そういや潜在意識のメッセージを受けとれないことも予言されていたわ。 その後の夢は、場面が変わってプールです。 「私(意識)はプールにつかっていて、あがりたいと思っている。プールサイドを通りがかった女性たち(潜在意識)に、手をひっぱってもらおうと思って声をかけた。女性たちは気づいたのか気づかないのか、行ってしまった。手ぐらいひっぱってくれたっていいじゃんとブツブツ文句言いながら自力ででた。」 これは私からみた潜在意識ですね。助けてくれたっていいじゃんと思っています。次が潜在意識からみた私です。 「自力でプールからでてふと振り返ったら、もうひとり誰かが(意識)泳いでいるらしく黒い頭が見える。一生懸命岸にあがろうとしているので私(潜在意識)は手をさしのべた。それなのに、その人は私の手を無視して自力であがった。せっかく好意で手だしてあげたのに無視するんだもんな、とブツブツ思いながら私はその場をあとにした」 アングルを変えるように、潜在意識と意識のどちらの側も自分として体験していました。自分と自分との物語ですね。ウケました。 |
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さっき車で走っていたら、狭い交差点の近くにとまっているパトカーのせいで、車がにっちもさっちも進めない状態になっていました。私も交差点の中で立ち往生して、信号を何回かやりすごしました。結局、何台かの車がバックして、やっと片側通行ができるようになり、私もやっと交差点からでれました。ちょうどそのころになって、おまわりさんが角の99ショップから出てきました。ふとみたら手に買い物袋。よくみたら、袋の中には「カロリ」という焼酎とスナック菓子。爆笑しました。こっちはこないだ駐禁とられたっちゅーねん。あと1点で免停の危機っちゅーねん。でもかわいい、おまわりさんも人間なのね。明日は「青い時間」の会場になった北軽井沢に行ってきます。道中つかまりませんように。
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多摩にある檜原都民の森に行きました。
![]() いろいろなハイキングコースがあって、途中の分岐点からコースを変えられます。「セラピーロード」を歩きました。 ![]() 小さな木屑をしきつめてあるやわらかな道で歩きやすいです。 ![]() 展望台からの眺めはとってもきれいでした。 ![]() おにぎりの具のタラコを落っことしたら、アリが運んでいました。今夜のごはんはタラコだな。がんばってね。 ![]() |
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前に、たしか今年7月ごろ、Fire the Gridという地球のために祈る催しありましたよね。私の家でもみんなで集まって1時間のお祈りをしました。お祈りが地球の役にたったのかどうかは実感としてぜんぜんわかりません。わかるようなものでもないのでしょうね。ただ私でも自覚できたのは、お祈りをしたとき、自分自身が不思議なほど充実感に満たされたということです。地球のために自分の生命力を与えたつもりが、なぜかかえって自分がすっきり安心した感覚になりました。
その後、また別件で、お祈りをする機会がありました。全力でお祈りをして、それでも相手の役にたったとも思えなかったのですが、なぜかまた自分が深々と癒される結果になりました。ながいこと欠落していたものが満たされたような充実感を感じました。 他者にむけてしたはずのお祈りが自分自身を癒すのですね。そういえば、うつ病仲間の友達の幸せを全力で祈ったら、自分がうつから抜け出したという話を聞いたこともあります。 外とみえるものは内にあるのかな。与えているのか受けとっているのか、なんだかよくわからない、とても不思議なものですね。 |
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