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スピリチュアルな世界を学ぶバランス

スピリチュアルな世界では、幸せに、豊かに、健康に生きるため、悟るために効率的な方法論を教えてくれます。また、「よくなる前に抵抗がおきる」とか、「自分の感覚を疑って、辛くても自分を鼓舞して進むべきだ、そうしないと本当に新しいところへは行けない」と教わることもあります。確かにその通りであるような気もします。多少無理しても自分を変えていくことで実際よくなる部分もあります。それはそれでひとつの進み方です。




でもそれらの教えはいっぽうで、「こうしなければならない」「こう思ってはいけない」というたくさんの禁止事項やドグマにもなりえるものです。私たちはいつのまにかスピリチュアルな世界の考えで自分を縛ってしまうこともあります。




最終的に正しくても、今の自分とはかけ離れていて、無理にそれにあわせようとしたら、自分が感じていることを感じていいと言ってあげられなくなるかもしれません。自然な感じ方を「抵抗」と名づけ、「そこを超えるかどうかが自分の決断・選択にかかっている」と諭されれば、ますます奮起して、正しい方向に自分の感覚をゆがませて、まっすぐにものを見れなくなるかもしれません。




そういう疲れがたまれば、スピリチュアルな業界から離れたり、人生が終わるとき、かえってホッとするなどということもありえる話です。よりよく生きるための一切の方法論・自分が作ってきた生き方・価値観・ドグマから解放されるからです。死ぬときちょっとホッとするような考えは、納得できないまま受けいれた教理であって、体験をとおして「これは間違いない」と心底わかったことではありません。掴んだ感覚がないまま自分に強いた正しさなのです。




それが本当に正しいかどうかはわかりません。本に共通して書いてあるから本当ともかぎりません。先生が言うことも、本や流行・宗教・世論・時代・国・商売に影響を受けていないともいいきれません。同じことをわかっても、ひとりひとりわかり方が違うし、おなじことを表現する表現方法が、先生と自分では違うのかもしれません。




無理するのは効率よく進むため、時間短縮して痛みが少ない道を通りたいからでしょう。そうであれば、本当にこの道が時間短縮になって痛みが少ないのかどうか、検討しながら取り組んでいく姿勢をもつとよいのかもしれません。時間短縮にならず痛みが多いならやめてもいいんです。スピリチュアルなことをぜんぜん勉強していない人も、最終的には誰一人残すことなく救われていくものでしょうし、失敗しても、マイナス思考でも、どういう決断をしても、手遅れにはならない、ひとりひとりにあった道筋を宇宙は用意してくれるはずです。




このように、スピリチュアルな考えから解放されることについて長々と書きましたけれど、私は、スピリチュアルなことは現実に実在していると信じています。夢や内的体験と、その後に続く現実との関連は、一般の人に証拠として提出することはできないけれど、私自身にとっては信じるに足るだけの豊富な体験だと思えます。スピリチュアルな世界がフィクションではないことと、自分がその中のほんの一部しかしらないことを知っています。私がとりあえず神さまや宇宙と呼んでいるものがどういうものなのか理解していきたいです。




スピリチュアルな学びだからこそ、客観性やバランスをたもつことが大切なのかなと思います。自分が体験して掴んだことと、聞いて覚えたことを、きちんと分けることとか。それでいて体験に固執せず、教えられたことを受け入れる中で理解できることもあること。判断を保留して受け入れたのなら、その選択をした理由を覚えておいて、あとから検討すること。いろんな角度からの解釈をして、結論を保留しながら体験を積み重ねることとか。・・・そういうのは私自身のバランスのとりかたですけれど、誰もがそれぞれ、自分にとって自然で楽なバランスのとり方をみつけていけたらいいですね。ときには禁忌を破って好き放題ハチャメチャやってみるのも、うんとネガティブに浸ってみるのも、大いに結構だと思います。



私自身も、HPやブログでいろいろなことを書いていますが、読んでくださる方が、生きいきとした自由な気持ちで読んでくだされば大・大満足です。


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近況です

更新がおそくてすみません。大学最後のスクーリングで、4日間、群馬県伊勢崎市に行ってきました。ブレインジムの亀田せんじゅさんもこの授業で終わりなので、ご一緒しました。先生にもクラスのメンバーにも親しみがもてて楽しかったです。これ以上留年したくないけど、これで最後というのも寂しい気持ちがしました。

アファメーション

アファメーションは、肯定的自己宣言ですね。




アファメーションとはちょっと違うと思うのですけれど、自分の場合、今までの体験をふりかえってみると、決めたことが実現化する思いには、いくつかの共通点・特徴がありました。




そのひとつが、深いところから決めること、です。




同じ決めるのでも、単に頭で「そうしよう」「そうしたい」と思うときと、本当に実際、その決断以降そうしてきたときの決め方を比べてみると、決めている心の深さのレベルが違います。




決めている心の深さにはレベルがあるのです。たとえば、「朝何時におきよう」と決めていても、起きれないときがありますね。でも、その用事がものすごく重要でかけがえのないものなら、どんなに眠くてもきっと起きます。眠りながらも、どこか深いところで、その用事の重要度を判断している心があります。「明日起きよう」と思っていても、心の深い部分で本当はどう決めているのか、自分の心を感じてみれば、寝る前からわかっていることです。建前ではなく本音が決め手です。




今までの人生をふりかえっても、4,5回ぐらいですが、眠っていても起きるかどうかを決めている心の深さの、さらにさらに深いところで、すごいはっきりとした決断をしたことがありました。そういう時は必ず現実化しました。思いや考えというレベルではなく、頭ではなく胸のあたりで決める感じです。ほぼ瞬間的・自動的に、決定済みのはんこを押される感じです。「決定・許可したことを告知する」「それ以外の可能性はない」という感覚です。「でも」とか「ちょっと変更」とか小細工はききません。




自己コントロールを離れているような瞬間的な決定ですが、ほんとうは、長い時間かけて自分が培ってきた生き方や、積み重ねた思いを基盤にしているのでしょう。積み重ねられたものが、ある瞬間、あるきっかけで、明確に意志として定まるのでしょう。ひとたびそのように決めたことは必ず実現してきました。実現したことの共通点をふりかえっているんだからあたり前ですが、でもその思い方には特徴があって、それは思った瞬間にわかるような種類の思いなのです。




誰もが、自分が過去に実現してきたことをふりかえってみれば、そこには何らかの共通点があるはずです。それが、私の言い方とは違うかもしれませんが、自分でつかんだ共通点の感覚として有効なのです。




「人生は自己決定によって決まる」というスピリチュアルな世界の説は、たぶんある程度正しいと思います。アファメーションというのは、自覚的に意図した決断で、そのレベルの深さに働きかけること。自動的にきまるような大決断も、長期間にわたる自己決定を基盤にしているので、日々の思いは力のあるものです。アファメーションとは、「光あれ」と神さまが言ったように、存在として本質的な意志の発動をすることなのだと思います。





タマネギの皮茶

ふだん、体にいいことぜんぜんしてない日常生活をふと反省。


日々の努力が苦手で、面白そうなイベント的健康法好きの私は、ネットでみた「毒だしジュース」を作ってみることにしました。


無農薬のタマネギの皮を集めて、煮るだけです。
できた!


タマネギの皮茶



ぜんぜん余裕で飲める味です。ビミョーに苦いだけ。



これで毒がでるかな?でるといいな。



今日はさらに、お風呂で塩サウナしました。塩サウナはいつもスッキリして気持ちいいです。








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ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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