ツイッターコピー ~2010年10月26日
「ほんとうは幻想でしかない分離の意識からくる欲望で願うこと厭うことにたいして超常的パワーを使うことがネガティブな意味での呪術と呼ばれるのだろうと思います。たとえ睡眠中の夢の中の世界でさえ、ネガティブな呪術的なエレメンタルを作り出さない自分でありたいものだと思います」
「鬱のとき「考えない方がよい」といわれます。でもコンピューターじゃないから「考えないで」と言われたら考えます。「~した結果考えなくなる」方法として草むしりやマントラ呼吸法は弱った心でもとりくめるワークです。ゲームに集中するのとは違う、滋養を得られるものに触れることがポイントです 」
「ブルーな気分のときに明るい人といるとかえって自分の暗さが目立ち孤立・内向化しやすくなったりしますね。水と油はなじまない、けど近い液体なら混じる。そんな感じで似て非なるものとの触れあいは、外に目が向き、考えが進みやすくなるでしょう。自助グループは変化のきっかけになることが多いです」
「友人の新居を訪ねました。かつて別荘地として流行した伊豆山中。電気水道ガス道路が整備され建物だけが残っています。人が住みやすい環境なのに社会から離れ、星空を眺め、鳥や鹿の声を聞き、自然のバイブレーションに包まれています。すばらしいです。芹沢光次郎神シリーズの結核療法を思い出します」
「私は母が大好きだったので、母を失うことである意味目標を見失った部分もあります。しかしそれは目標にまとわりついた余分な部分、母の教えを鵜呑みにし母の期待に応えようとする幼い自分削りとられる体験でもあります。目標が研ぎすまされます。成人過程のイニシエーションのようにも思います」
「神を知りたい。真実を知りたい。自分自身の全知恵・全愛・全力をあらわして生きたい。ひとりひとりの人が、それぞれの愛する人に、自分自身の最高の愛を表現し、共に喜びあう幸せな姿を見ていたい。その手助けをしたい。それが今、私が望むことです」
「自分の中の、自分でも自覚しにくい、ただ重たく感じる気持ちの正体を浮上させるのにカラオケが役だちます。いろいろな種類のネガティブな歌を歌ってみて、なぜか気持ちがこもる歌を見つけ、似た種類の歌を歌って意味を特定し、「そういう気持ちを自分が感じたとしたらどういうことか」と推理します」
「自分が相手に与えたかったことと相手が自分から受けとりたかったことは違う。相手を思って泣くのと、純粋に相手を思う自分自身に感動して泣くことは違う。 それを重々わかっていても相手が望むことと違うものを渡すこともある。「愛の最終形態は挑戦」というポール・ソロモンの教えを思う」
「自分がほかの人に対して思うことは、その人を形容詞であらわしたような自分自身のある部分、そうなる可能性にたいして、自身がどの程度肯定的で協力的か、あるいはどの程度否定的で拒絶しているかを、正確にあらわしているように感じます」
「全身全霊をかけて愛を捧げた。相手に受けとる器がなかった。器用に安全策をとらなかったゆえボロボロになった。そうなるカルマもあるだろうけれどあのとき捧げた愛は本物。ならば必ず内面世界・原因の世界は動く。絶望に閉じてしまわず、対象を変え、続けよう。まだ学ぶ余地は残されているだろう」
「海を見たことのない国の子どもに海について教えるとしたら、洗面器の水などその子が知っているものを使うのではないでしょうか。伝えたいことは洗面器の水から類推・連想された先にあります。姿形のない存在が私たちに教える教え方も同様で、私たちは「・・・のようなもの」から連想することが大切です 」
「今朝の夢。エミネム『8mile』をBGMに光の届かない汚染された貧困労働者の世界。出口の「これが俺たちの職場だ」という看板が格好よかった。夢の格差社会の富裕層とは私の生活習慣、体細胞が労働者」
「与えられた環境でがんばるしかない体細胞にひどいことをしている自分が社会の格差やスラムをなくせるわけもない。外の世界で効果的なよい働きかけをしたいなら、直接的な活動と同時に、自分の中のあらゆるレベルでの同じ構造・自分自身が創造主・責任者である範囲を見直すべき。いささか反省」
「鬱のとき「考えない方がよい」といわれます。でもコンピューターじゃないから「考えないで」と言われたら考えます。「~した結果考えなくなる」方法として草むしりやマントラ呼吸法は弱った心でもとりくめるワークです。ゲームに集中するのとは違う、滋養を得られるものに触れることがポイントです 」
「ブルーな気分のときに明るい人といるとかえって自分の暗さが目立ち孤立・内向化しやすくなったりしますね。水と油はなじまない、けど近い液体なら混じる。そんな感じで似て非なるものとの触れあいは、外に目が向き、考えが進みやすくなるでしょう。自助グループは変化のきっかけになることが多いです」
「友人の新居を訪ねました。かつて別荘地として流行した伊豆山中。電気水道ガス道路が整備され建物だけが残っています。人が住みやすい環境なのに社会から離れ、星空を眺め、鳥や鹿の声を聞き、自然のバイブレーションに包まれています。すばらしいです。芹沢光次郎神シリーズの結核療法を思い出します」
「私は母が大好きだったので、母を失うことである意味目標を見失った部分もあります。しかしそれは目標にまとわりついた余分な部分、母の教えを鵜呑みにし母の期待に応えようとする幼い自分削りとられる体験でもあります。目標が研ぎすまされます。成人過程のイニシエーションのようにも思います」
「神を知りたい。真実を知りたい。自分自身の全知恵・全愛・全力をあらわして生きたい。ひとりひとりの人が、それぞれの愛する人に、自分自身の最高の愛を表現し、共に喜びあう幸せな姿を見ていたい。その手助けをしたい。それが今、私が望むことです」
「自分の中の、自分でも自覚しにくい、ただ重たく感じる気持ちの正体を浮上させるのにカラオケが役だちます。いろいろな種類のネガティブな歌を歌ってみて、なぜか気持ちがこもる歌を見つけ、似た種類の歌を歌って意味を特定し、「そういう気持ちを自分が感じたとしたらどういうことか」と推理します」
「自分が相手に与えたかったことと相手が自分から受けとりたかったことは違う。相手を思って泣くのと、純粋に相手を思う自分自身に感動して泣くことは違う。 それを重々わかっていても相手が望むことと違うものを渡すこともある。「愛の最終形態は挑戦」というポール・ソロモンの教えを思う」
「自分がほかの人に対して思うことは、その人を形容詞であらわしたような自分自身のある部分、そうなる可能性にたいして、自身がどの程度肯定的で協力的か、あるいはどの程度否定的で拒絶しているかを、正確にあらわしているように感じます」
「全身全霊をかけて愛を捧げた。相手に受けとる器がなかった。器用に安全策をとらなかったゆえボロボロになった。そうなるカルマもあるだろうけれどあのとき捧げた愛は本物。ならば必ず内面世界・原因の世界は動く。絶望に閉じてしまわず、対象を変え、続けよう。まだ学ぶ余地は残されているだろう」
「海を見たことのない国の子どもに海について教えるとしたら、洗面器の水などその子が知っているものを使うのではないでしょうか。伝えたいことは洗面器の水から類推・連想された先にあります。姿形のない存在が私たちに教える教え方も同様で、私たちは「・・・のようなもの」から連想することが大切です 」
「今朝の夢。エミネム『8mile』をBGMに光の届かない汚染された貧困労働者の世界。出口の「これが俺たちの職場だ」という看板が格好よかった。夢の格差社会の富裕層とは私の生活習慣、体細胞が労働者」
「与えられた環境でがんばるしかない体細胞にひどいことをしている自分が社会の格差やスラムをなくせるわけもない。外の世界で効果的なよい働きかけをしたいなら、直接的な活動と同時に、自分の中のあらゆるレベルでの同じ構造・自分自身が創造主・責任者である範囲を見直すべき。いささか反省」