夢について

私は今は睡眠時の夢の累層構造と、現実に起きる構造的繰り返し(カルマと呼ばれているもの)が、同じであることに興味を持っています。


夢は、主体・客体・オブザーバーと、立ち位置を変えて似たような構造を繰り返します。


夢の相似構造を累層構造といいます。


ふと思えば、それは現実世界でも起きていて、ひとつの人生の中でも、相似構造が繰り返されます。


葉脈と樹木の形状が相似形であるように、ひとつのことが真実であれば、その拡大系があると考えれば、人間には結論の出しにくい転生の問題についても、実在の可能性が高まるように思います。


興味深いのは、主客オブザーバーの位置を入れ替えて、大小さまざまな形で起きる夢の相似形の目的が、「自己理解のため」であることです。


夢の目的のひとつは自分のありようを掴み、そこからの自己決断してより統合的な世界を構築していくことです。


現実も相似形でできていますが、それを宗教界ではカルマと呼びます。


これは過去世だけではなく、ひとつの人生でも起きますし、一般に考えられているよりも、さまざまな形状として現れているように思います。


夢の累層構造がどんなふうに入れ替わるかを理解していくことは、カルマの現れ方の幅の広さを理解しやすくなります。


また、カルマというとどうしても教育機関のようなイメージがありますが、信賞必罰の法則で「痛い思いをしたくなければこうしなさい」というものではないということもポイントです。


あくまで自分のありようをつかむことが目的です。


そのためにさまざまな立ち位置での体験を重ねます。


誰かに「学べ」と言われているわけではない。


さまざまな観点から自己理解を深め、自分が「こうしたい」「こうしよう」と自分のタイミングで決めて、一歩進めていくことが、カルマの意図するところなのではないかと思います。


「自分が自己理解のために制約のある世界に降りてきた神であった」(『黎明』に書いてあったこと)を、改めて感慨深く思い出されます。



観念について

命はいつも、私たちの誤った観念・定説・理屈などを打破するような出来事を起こしてくるように思います。



観念・定説・理屈などははそもそも、現実を理解しやすくするために一般化した抽象概念であり、よい状態を保つ目的で作られた地図でしかありません。



それらは現実そのものをあらわしてはおらず、成長途上の仮定にすぎないもので、すべての時代・場所・ケースにあてはまりません。更新してバージョンアップしていくべきものです。ですが、いったんこうと決めるとそれで理解できる場面も多くあるので、観念・定説・理屈の中に安住してしまい、現実を無視するケースもでてきます。



私たちが具体的に愛する対象を通じて起きる問題においてのみ、私たちは割り切れない苦しみを味わいます。



現実と理屈が合わないときに、現実を拒絶して理屈の中に引きこもるのか、それとも問い直して理屈を修正するのかを、問われます。



ひらめきは常に、理屈や定説に対してではなく(よって規則に縛られた組織ではなく)、現実とふれあう個人の心に、疑問として降りてくるものです。



だからどんな理屈も、それを生んだスピリットは重要ですが、そのスピリットを大事にした上で、必要に応じて否定されるべきものです。



理屈によって現実が阻害されかねない場合には、改めるべき点を検討していく姿勢を、個人におちても組織においても保持することが重要であるように思います。


具体的に愛する対象をもつことによってのみ、迷妄が破られていくため、何かひとつでも、自分と同じかそれ以上に愛し関わる対象を持つことは、私たちが痛みを味わいながらでも真実を知っていくためには必要なこのように感じます。








プロフィール

ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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