カルマその14

カルマというテーマなのに、夢や潜在意識の世界についてたくさん話してきたので、カルマは夢や潜在意識の話なのかなとこんがらがってしまう方もいらっしゃるかもしれませんね。


夢や潜在意識をたとえにしたけれど、世界はホログラム的なものだという前提があるのです。


いろいろなレベルで連動して似た構造が起きているのです。


我ながらわかりにくい言い方ですね。


写真を2つに切ると、上半分と下半分とか、右半分と左半分とかに分かれてしまいますが、ホログラムは、2個に切ると、2つの全体があらわれるそうです。



具体的にいうと、たとえば手相占いは、手の平のシワなどをみて、手の平以外のことがわかるのです。


人相見は人相を見て顔以外のことがわかるのです。


家相見は家を見れば、建築物としての家以外のこともわかるのです。


タロットでも易でも、色々なことがわかるのです。


夢占いでもそうですが、心理学的な夢分析でも、色々なことがわかるのです。


声だけでも色々なことがわかるという手法もあります。


足の裏にも体全体のツボがあります。どこが痛いかによってどこが悪いかわかるといいますが、以前お会いした靴職人の方は、足をみれば体調だけではなく性格もわかると言っておられました。


つまり、どのようなアプローチでも、全体があらわれるということです。


もちろん足の裏では性格より体調の方が見やすいというような現れ方の若干の差はあると思うのですが、さまざまなことが連動していて、一部一部に表現されているのです。

カルマその13

内観療法の話の続きみたいな話ですが、私は子どものころ、近所の代々木八幡神社によく遊びに行っていました。


年じゅう遊んでいたのですが、夜の縁日の日は、買い物客が小銭を落とすようで、縁日の翌日は小銭が参道に落ちていました。


私は椎の実を拾ったりするのと同じ感覚で、縁日の翌日は小銭を拾いに行っていました。


そんなに悪いことだと思っていなかったのですけれど、内観で「盗み」について振り返ったときにハタと思いだし、大変申し訳ないことをしたとわかりました。


それで、内観療法の帰り道、代々木八幡神社に寄りました。


自動販売機でジュースを何回にもわけて買って1万円分の小銭を作り、ジュースと小銭袋をもって社務所へ。


事情を話して祈祷をお願いしました。


小銭を入れた袋を神前に供え「幼きころの愚かなる過ちの草々を~」とオリジナルの祝詞で取り次ぎをしてもらいました。


以来、不思議なことに、小銭を拾う夢を見なくなったのです。


逆にいうと、それ以前はたまにそんな夢を見ていたのです。


幼少期、神社で小銭を拾っていたことと小銭を拾う夢が関係していたなんて全然知らなかったのですが、関係していたのでした。


人間が創造的な存在であることはスピリチュアル界では広く了承されている原則ですが、もしかしたら神社とか、パワースポットとかは、その原則が、ほかの場所より強く働くのではないかな、と思います。


そもそもちゃんと自覚して創造をコントロールできたら、特別な場所なんて必要ないのかもしれないけれど、無自覚に、矛盾した創造行為をして、へんてこな状況を作り出してしまうわけです。


現在の、望ましくない結果の、バランスの均衡を崩して、願いを実現する方向に力をかけるために神社やパワースポットをまわるというような発願のやり方があるくらいなので、神社やパワースポットでのアファメーションが、それ以外の場所のアファメーションに比べて強く働くということかもしれないと思います。


そんな創造の力が強く発揮されやすい場所で、私は小銭なんか拾っていたもんだから、ずっと小銭を拾う夢ばかり見ていたのかな。


トホホ。


以来、代々木八幡神社をお参りするときは、お賽銭はお札にしています。


せめてお札の夢が見たい。

カルマその12

カルマは、似た構造を繰り返すわけですが、一回の再生が終わった直後が、もっとも力が弱くなります。


成就することによって静まります。


荒立つ心が消えたときに、静けさの中で、真実の声が聞こえてくることがあります。


それはちょうど、昼間活動していたときには気づかなかった小さな音が、夜になって聞こえてくるようなものです。静けさのなかで体内の音が聞こえてくるようなものです。


放蕩息子が死の淵で、朦朧としていたときに、父の国について思い出したように


ホームレス詩人が、7日間だけ、路上で自分の書いた詩を売ってみようと並べて7日目の晩が終わったときに


ひとつの物語が完遂したことによって静まり


そこに恩寵の入る余地が生まれてきます。



カルマその11

大きな箱が世界(世界だと思っているもの)だとします。


その中に小箱を置きます。


小箱が自分(自分だと思っているもの)とします。


自分が小箱で、世界全体が大箱です。


本当の自分全体は、大箱です。


小箱は愛を求めているとします。


愛のシンボルとしてハート型の置物を置きます。


愛への障害のシンボルとして石を置きます。


小箱からみると、ハート型の置物も石も外側にあります。


本当は、大箱全体が自分だから。小箱の中にあろうが外にあろうが、同じことなのです。


でも、小箱が自分だと思っていると、内にあるか外にあるかは大きな違いです。


石が外側にあれば、邪魔されているように思い、自分は燃えるような意志で、その障壁を乗り越えようとします。


しかし石が小箱の中にあれば、やる気のなさとしてあらわれ、外には何ら障害がなくてもその気になれません。


どちらが超えやすいかといえば外側にあった方が楽な場合も多々あります。


外側に障害あるときは、自分の中にある課題が外側にあることによって自分が負わずにすんでいると考え、淡々と進めばよいのです。


外側に障害がなくなってやる気がなくなったら「ああやっぱりな」と思いながら、やはり淡々と進めばよいのです。


マリオも悟空も、外側にいる敵を倒すごとに強くなっていき、お姫さまや宝物を得るのにふさわしい存在になっていきます。


自分が宝物にふさわしくないのに宝物がいつもそばにあれば、ないがしろにしてホコリまみれにしてしまいます。


敵と思えていたものは、自分を育てたものです。


フィナーレでは、みんなで手をつないでお辞儀をするような仲間たちといえるかもしれません。

カルマその10

カルマは、潜在意識の記憶とも関係するように思います。


潜在意識は、通路兼倉庫のようなものです。


過去の物語だけがあるのではなく、真実の英知が通ってくるルートでもあるといわれます。


水道管のつまりがとれると水が通りやすくなるように、通路に置いてある荷物が減れば、通路としての機能がよりよく果たされるようになります。


潜在意識がきれいになると、直感はあたりやすくなります。


カルマその9

内観療法で、普段見落としやすい視点で振り返りをして、正当な評価をし直すと、自分がさまざまなものの恩恵を受けて生きてきたことが実感できるわけですが、恩恵を与えてくれた存在たちに報い、生かし支えることによって、循環の輪が生まれ、恵みを受け続けることができやすくなります。


具体的な方法のひとつとして、私もしている、割合簡単にできる方法を書きます。


収入のうち2%をとって、2つの財布に1%ずつ入れいます。


1万円もうけて200円ですから負担になる額ではありませんが、ためていくと結構たまります。


ひとつは「今まで生きてきたなかで支えになってくれた存在たちに使うお金」


もうひとつは「特に自分に関係がなくても、本人のカルマであっても、苦労している存在たちに使うお金」


とします。


それを機会があったときに使います。


対象は自然でも人間でもよいです。


そのようなお金の使い方は、現実の人間関係でも潤滑油になるでしょうし、自分の内面世界でよい循環の構造を作るでしょう。



カルマその8

私は数年前、内観療法を受けたことがあります。


内観療法では、親などとの関わりで「してもらったこと」「お返ししたこと」「ご迷惑をおかけしたこと」を振りかえります。


これは感謝を強いるということではなくて、正しく評価するための方法です。


指導していただいた先生から「内観は、閻魔様のように公平な目で自分を見ることです。死んだときに出会う閻魔様は自分なのです」と言われました。


人間は普段は自分中心のものの見方をしていて「自分が相手にしてあげたこと」「相手からお返ししてもらったこと」「迷惑をかけられたこと」は意識しているものの、その逆は無意識で通りすぎてしまうことが多いため、その抜けている観点を補充するような捉えなおしをするのが内観療法です。


ふすま2枚を蝶番(ちょうつがい)でとめたものを部屋の角に置くと、座布団一枚置ける程度の四角いスペースになりますね。


そこに朝から晩までこもって、ひたすら考えます。


ごはんもそのスペースで食べます。


トイレとお風呂と寝るときだけそこから出られますが、おしゃべり禁止です。


「小学校何年生~何年生のときの母に対する自分」というようなテーマを、年代ごとに思い出します。


学生時代は3年ずつ、成人してからは5年ずつに分けて思い出します。


一巡したらまた最初からやり始めます。


そんなことを一週間もやっていると忘れていたような場面が映像で浮かぶようになります。


私たちは、覚えているいくつかの場面に解釈を加えて被害者意識になるので、たったひとつの新たな場面を思い出すだけでも、凝り固まっていた解釈が崩れて新しい解釈ができる可能性があります。


この不遜な私ですら(笑)内観終了後、親に三つ指ついて感謝と謝罪の言葉を述べたくらいです。


記憶がよみがえりネガティブな解釈の誤りが正されると、落ち着いた心境になります。


そのような内観療法ですが、そこでは親に対する自分の内観のほかに、「殺し」「嘘」「盗み」についても内観しました。


もちろん殺人までする人はほとんどいないわけですが、微細なレベルでの殺生・嘘・盗みについては、ほとんどの人がしています。


殺生・嘘・盗みについてふりかえったら、自分の人生で苦労したことは、自分がしたことが拡大されるような形でその後の自分に返ってきたんだなぁと腑に落ちました。


カルマの法則の一部について学んだ体験でした。


プロフィール

ユーリ

Author:ユーリ
新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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