援助について思ったこと

前になにかの本で読んだのですけれど、先進国がアフリカへの援助として地下水をくみ上げる巨大ポンプをこぞって建設した時期があるそうです。








でも先進国の人たちが去ったあと、アフリカには交換部品の製造技術がなく、施設は使えなくなり、援助の残骸があちこちに残ってしまったそうです。








先進国が最新技術を駆使して一番よいと思うことをしても、現地の人に使いづらいものは使えないのですね。








かえって井戸を掘った方が役にたったのかもしれません。








外から改革・援助をするとき、相手をよくみていないと、相手の文脈を無視してしまったり、がんばったわりに喜ばれなかったりしますね。








私は今まで、家族にたいしてちょっとそういうところがありました。







でも10年働きかけてもビクともしなかった課題について、あるとき神様にお任せして手放すよう先生からアドバイスされました。







「このことについて私ができることはすべてやりました。あなたに任せます。彼らが幸せでありますように」とお祈りして、ただ見守ることにしました。







私があれこれ心配するのは、家族によい結果を望むからですが、それは自由意志をじゅうぶん尊重しないことにもつながります。







あけわたすとは、私にとって、相手の自由意志を尊重し、それによっておきる結果を見守る覚悟をすることでした。







ジョンレノンの「LOVE」という曲に「愛は自由」という歌詞がありますね。






私は「今自分が真に自由でもここにとどまり今していることを続けたいだろうか」と自分自身に問うときにその曲を思い出します。







でも「愛は、受け手にとっても自由を許すこと」でもありました。







私があげたい愛を相手が受け取りたくないなら、それを尊重することも大切ですね。







私はそのことを学び、ただ祈ることにしました。







すると状況はたったの一年で変わりました。







私の思いが邪魔をしていたのかもしれないと思うほどでした。
(強く願ったあと手放すのが実現化の法則と聞いたこともありますけれど)







家族自身が自由にきめて、起きてくる問題に対処していくなかで気持ちが変わり、家族自身が変化を望むようになり、情報提供などの援助を求められるようになりました。







人が動こうとする気持ちをなくしてしまうほどには外から働きかけないことが大切なのだと私も学んだので、それからは自助グループに関わるような間接的な援助にとどめるよう心がけています。







家族から「解決の第一歩を踏み出した祝賀会としてお寿司食べたの」と報告を受けきつねにつままれたような気分です。







「援助ってなんだろう」とあらためて考えさせられます。








ふと思うのは、人とその世界は、雛鳥と卵のように共に大事なもので、雛鳥が中から殻をつついてでてくることが大切なのかもしれません。







親鳥はあたため、殻を破れない程度につつくと聞きます。







つつくのは呼びかけの意味と、殻を破れやすくする働きがあるのでしょう。







人間の赤ん坊も、赤ん坊のペースにお母さんがあわせてお外にでますね。







殻のなかにいる間はあたためて、優しく呼びかけて、信じること、祈ること、そっと光を送ること、プロセスのもつ力を信頼すること、これからはいっそうそういう援助を心がけていきたいな、と思いました。








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新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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