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『仏教は心の科学』より抜粋

最近読んだ本『仏教は心の科学』から印象深い言葉を抜粋しました。(一部、文章を閉じるために編纂してあります)







「梵天などとても高次元の生命がいるのですが、神々を拝むのではなくて、神々も乗り越えてしまうのです。「拝むな。乗り越えよ」ということです。「観音様、どうか助けてください」などという弱い心では人間はダメなのです。「よし、私は観音様を乗り越えかるのだ」というくらいの力強い生き方が必要なのです」







「山で遭難した人は、誰かが見つけてくれるまで頑張ります。吹雪の中でも頭をフル回転させて、険しい山道を降りてきたりもします。それなのに下山途中で誰かに出会ったら、その途端に力が抜けて、もう歩けないし、しゃべれない。それは人に出会った瞬間に、心が怠けてしまうからです」







「心というのは、ものすごく怠け者です。どうやって怠けようかと、常に必死です。「よく頑張った」というときも「怠けてしまうから、それでもなんとかやりました」ということであって「我慢」という言葉も「本当は我慢したくない。それでもなんとか我慢しました」ということでしょう。心を蹴飛ばして、叩き上げなければ幸福にはなれません」







「何かやりたくなっても一旦停止。「ちょっと待てよ」と考えてから、行動するようにします。交通安全のお守りなんていくらあっても事故は起こるのですが、一旦停止は人生最強のお守りになるのです。一旦停止さえすれば、極論を言えば、人をぶん殴ってもいいのです。ぶん殴りたくなっても「ちょっと待て」と考えて、それでも殴ったほうがよいと判断して殴るなら、ほとんどトラブルにはならないはずです」







「生命は自分の意志で行動しています。生命の意志は幸福になることです。それならば、意志によって行動する生命は幸福になれるはずですよね。煎餅を食べたいと思う人は、煎餅を口の中に入れます。けっして鼻の穴に入れようとはしません。つまり、不幸を感じているこの世の多数派の行動は、自分自身の幸福になりたいという目的にあっていないのです。行動は目的につながるものでなくてはならないということは当たり前の話なのに、知らず知らずのうちに、人は目的と反対の方向になる行動をするのです。煎餅を鼻の穴や耳の穴に入れるようなものです」







「幸福になりたいならば、次のように考えてください。自分の心は、生まれつき怠けというウイルスに侵されている。だから自分に精進という薬を飲ませてあげなければならないのだと。精進は、無計画に朝から晩まで頑張るということではありません。それは外に向けて、あるいは自分に対するごまかしでしかありません。結果がなければ、それは怠けです」






「日本人がオリンピックで金メダルを取ったら日本人みんなが喜びますよね。誰であろうが何か成功したら自分も喜べばよいのです」







「人間は、後悔さえやめれば幸福になるのです。「そう簡単には気楽になれない」と思うなら、逆に「何様のつもりですか?なんでもできると思っているのですか」と聞きたくなります。より良い結果を目指して努力するならそれで十分です」







「子どもに「みんながやっているのだから、あなたもやりなさい」これはよくありません。そうではなくて「みんなやっているのだから、あれはできますよ。簡単です。ちょろいものです。やりなさい」と言うのです。そうすると「あれは自分にもできることだ」という自信をつけることができます」







「精神が未熟な者の正直は問題の種です。病んだ心に正直にやりたい放題されては危なくてしょうがありません。「心に正直」ではなく「成長することに正直」になることです」







「苦しみを絶つには、神様を体験する必要も、阿弥陀様に出会う必要もありません。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、そしてこの身体自身、心自体が変化していくのだということ。流れては消えてゆくものだということ。「これ」と捕まえられるものは何もないのだということ。その事実を納得して理解し認める。それで問題は終わります」







「「あとでやります」という考え方は、結局「あとでもやらない」考え方です。それは心の思考パターンの一つですが「今すぐやらなくては」という気持ちでやらないと、なかなか結果が出てこないのです」







「仏教に記録されている超能力は解脱を目指して修行する過程で現れる現象です。修行者はどこまで実践が進んだのかをそれで理解しますが超能力を目指して修行することは厳しく批判するのです。超能力があっても一般の人に見せてはならないのです。無知な人々を驚かすのは品のない行為です。超能力を見て驚いても、ただマジシャンのマジックを見て驚くことと変わりはありません。それで良い人間になるわけでもないし人格向上もありません。お釈迦様は「ブッダの超能力は、説法できることと、人を導く能力だ」と説かれたのです」







「因縁とは、「万物の働きによって自分がいる。だから自分はけっして自立して存在するものではない。自分がいるという実感そのものさえ万物の中でお互いの働きによって現れてくる一時的なものだ」と知ることです」







「通常、私たちは怒ったら外に向かってぶつけていきます。自分を変えようとしないで誰々が悪いと自分に都合よくまわりを変化させようと頑張るのです。冬が寒いのが嫌だといって冬の気温をあげることはできない。できることといえば自分が厚い衣類を着込むか暖房を入れるか、それくらいです。海が嫌だといっても、海水をかきだして空っぽにすることはできません。船で渡ります。渡れる自分になろうとすることで、心の中の怒りはなくなるのです」







「怒りを治める方法がもう一つ、原因も結果も無常であると知ることです。悪口が原因で怒りが結果だとします。原因の音は1分か2分、せいぜいそのくらいの音で無常です」







「怒りは強い強い鎖のような束縛です。怒りや恨みを持ったら、その人に束縛されることになります。いつもその人が気になるのです。現にその人がそばにいなくてもエネルギーのレベルでは一緒にいることになります」







「どんな苦しみがあっても、自分にどんな欠点があっても、不満があっても、何もかも無常です」







「渇愛があるから苦があります。五官に依存して快楽を得ようと努力しても結局残るのは不満だけです。渇愛は苦の原因です。すべて無常だから不完全です。それに依存する私たちには必ず不満が生じます。なくすべきなのは苦ではなく渇愛、欲望であり煩悩です」







「ボールを持ち上げて手を離すと落ちて転がり最後には安定してとまります。原子一個みてもエネルギーが変化しています。お釈迦様は「すべて苦しい」というような何か暗い話をされたのではなくて、「存在は不安定な状態にある」という真実を語ったのです」







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新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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