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自信

虐待を受けて育った人が自分の子どもを虐待する可能性が、虐待を受けずに育った人のそれより高いことを、虐待の連鎖といいます。

虐殺の連鎖が多くの人に周知されたため「私は虐待を受けて育ったから子どもを虐待してしまうのではないか」と恐れるあまり子どもを産むことをためらう人まで出てきています。

でも虐待を受けて育った人の半数以上は子どもを虐待しないと読んだことがあります。

自分は虐待してしまうのではないかと心配するような人は虐待をしない可能性が高いです。

日々自分の言動について「これが虐待にあたるか」なんて考えるような人は、その都度細かな微調整ができるので、子どもが成人するまでのロングスパンでみれば大した害にはなりません。

一回も子どもを感情的に怒ったことのない親などいないでしょうし、暴力をふるってしまったことのある親も大勢いるでしょうが、過ちを続けることさえなければ、子どもの受容力や成長力で消化されてしまうことも多いでしょう。


むしろ害を与えるのは、自信・確信のある親、どういう理由であれ修正しない親です。

それは子育てのみならずさまざまな分野についていえます。

ナチスがユダヤ人を虐殺したとき「もしかしたら間違っているのではなかろうか」なんて日々反省•修正したはずありません。

会社のいじめも「あの人は仕事ができない」「みんなが迷惑してる」という理由で愛を与えない「正しい人」が加害者になっているケースが圧倒的に多い。

人間の自我は、ものごとのつながりを知りません。

自分の内臓がなぜ動いているのかも知らない、白髪一本黒くもできない、アリンコがなぜ地球にとって必要なのかもわからない、ただ安心して暮らしたいだけなのに生物多様性が失われていくのをどうすることもできないほど人類は無知です。

にもかかわらず、自分がいま直面している件に関してはわかっていると思っています。

自分が今なんとかうまくやっていけているのは、環境や遺伝子や健康や出会いなどに恵まれているからで、努力ができるのも努力が実るという学習が思わず知らずできたからで、恵まれた部分もあるはずなのですが、与えられていることを換算にいれず自分にできたようなことは他の人も努力次第でできるはずだと思うと、容赦なく他者を断罪しがちです。

断罪する人の主張は一面のみの正しさを追求していることが多く、自分が年をとって振り返ってみればどうでもよくなるような、それだけで見方が変わるような、一時的な正しさの場合も多くあります。

今、確かだと思うことが本当に普遍的に正しい行為なら、係わるすべてのメンバーに調和を生み出すはずです。

ソクラテスが言っていた無知の知(自分が知らないことを知っているという知恵)をもって歩む姿勢がないとき、また愛と許し、観察•熟考による別の視点が持てないときに、人は大きな過ちを犯しがちです。

だから、自分が正しいと自信があり、相手の言い分を認める気持ちになど到底なれないときや、相手に対する自分の愛のなさも含めて相手のせい、当然の報いだ、などと思うときこそ、自分を疑ってみる必要があります。

逆に、自信がない場合は修正しながら進めば大丈夫だと思った方がよいでしょう。

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今、ここに書けませんけれど、しみじみ感じているって事だけを記します。

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新宿区中落合でヒプノセラピーをしています。

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